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愛する東雲へ誕生祝いのシズイザを

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どうしたらいいかわからなくなってとりあえず目をつぶった。
よく考えたらそれはいちばんしてはいけないことだった、だってそれでは前が、あいつが見えないじゃないか。あいつから目をそらすなんて愚行、俺はやってはいけなかったのに。思わず目をつぶってしまった。きつくきつく、つぶってしまった。ぎゅっと音のするほどにつぶられたそこに落ちてきたのはやわらかな感触、そして、「いっちょまえにビビッてんじゃねえよ、このノミ蟲が」という低い脅すような声。それがすこし哀しげに聞こえたのはどうしてだっただろう、俺はあいつのそんな声聞いたことなかった。「おまえは俺ごときにビビるタマじゃねえだろうが」そう言ったあいつの声は一層哀しげに響いて、俺はいよいよどうしたらいいかわからなくなってしまった。


家に帰ってもあいつの言葉が、響きが、どうしても頭の中から抜けてくれなくて、うつくしく整えられたベッドに寝転がって枕を抱き締めながらどうしてあのとき俺は動けなかったのだろうとそればかり考えた。ナイフが刺さらないのはわかっていた、俺は仕事帰りでなかなかに疲れてしまっていて、でもこちらの疲労なんてあいつが気にしてくれないのはいつものことで、それはこちらもおなじことで、だからその点においては俺とあいつはフィフティフィフティ、だけどちがったのは俺がすこしのミスをしてあいつから逃げ損なったこと、しかしそれもまたやはりこの7年のあいだにはたくさんあったことであり、俺がどうしたらいいかわからなくなる理由になんてなりはしない。俺はこの世で唯一、俺の頭のことだけは信じていた。俺の頭と、あいつの体、それだけは俺の中でゆるぎない信頼をおけるものであって、そこにひとつもゆるぎはない。

そう、ならば今日俺があいつから目をそらしたくなったのは、逃げられないとわかったときに足も、信頼する頭すら動かなくなったのは、あいつの目がちがったからだ。俺を追い詰めたあいつが手にしていた標識を下ろしたとき、そのときはまだ俺は余裕を持っていたのだ、あいつが武器を使わず、素手で俺を殺りたいと考えるのは当然のことであろうと思えたし、そのほうがおもしろいとすら思った。俺は頭で、あいつは体で、ただそれだけで殺りあうのだ。それが俺たちの決着としてはふさわしいだろうと俺は思っていた。そしてそう思っているのは俺だけでないだろうという確信が俺にはあった。だから何の不思議もなかった、標識を置くという奴の行動自体には。曇り空からこもったようなゴロゴロという音が聞こえていて、ああ、雷が近い、と俺は思った。細い路地裏、薄汚れた壁を背中にして、小雨がさらさらと降り始めたとき、俺は最後のナイフを取り出した。標識を置いた奴はそんなことはまったく目に入らないと言わんばかりの態度でカツカツと革靴の音を響かせて路地裏へ入ってきた。応戦しようとナイフを構えた俺に、あいつはくわえていた煙草を道路に造作もなく捨てながら近づき、サングラスを取った。「臨也」 俺とあいつの距離はもう3歩ほどに近づいていた。

俺の名前を呼んだ音色がいつもとすこしちがった、それが違和感を感じたはじめのひとつだった。「臨也」
「なに、シズちゃん、お得意の暴力はどうしたの?さっきまでの勢いが嘘みたいだね」
「臨也」
気づくとあいつとの距離がもう10cmほどになっていた。腕を掴まれて、しまった、と思った。ナイフが落ちる。カラン、という音が路地裏にむなしく響くのがとおく聞こえた。
「…見逃してくれないかな」
言いながら瞳を覗き込むように、見詰めるようにして笑ってみせる。
「…いいぜ」
その言葉に驚いた。あの。シズちゃんの。言葉だなんて信じられない。
「臨也」
急に怖くなった。目の前にいるのはいったい誰だ。俺の知っているシズちゃんなのか。シズちゃんは。シズちゃんは。シズちゃんはシズちゃんはシズちゃんは。こんな顔しない。こんな声で話さない。こんな目で。こんな目で俺を見ない。


どうしたらいいかわからなくなって目をつぶった。シズちゃんの顔を見ているのが怖かった。きつくきつく目をつぶって視界のどこにもシズちゃんの姿が入らないようにした。俺の視界はまっくろな目蓋の裏だけになって、すこしの安心がひろがる、けれど閉じられない耳からその声は容赦なく俺の中に進入してきて、ああ、そんな、そんな言葉は、俺たちのあいだには、いらないだろう、そうだろう。




「臨也、」
「臨也、こっち向け」
「…見ろっつってんだろが」
「…クソ」
「…………」
「…好きだ」
「………じゃあな」




雨が激しい音を立てて窓を叩いている。まるで俺の心の揺れをあらわしているみたいでなんだか癪だ。気に喰わない。ちくしょう。
「…シズちゃんのくせに」
上等じゃないか。明日、この雨が上がったらなんでもないような顔をして池袋へ行ってやろう。いつものように挑発してやる。そして。
「今日のお返しをしてやるよ」