静かなる伏竜
肌寒い風が吹く。
秋から冬へ、確かな季節の移ろいを佐助は感じた。
甲斐と同盟が組まれてから早数ヶ月、同盟相手ではあるがその動向は監視するようにという信玄公の命により、佐助はたびたび奥州を訪れている。自身の主人である幸村には秘密だ。奥州に行くといえば、必ず共に行くと言い出すに決まっているのだから。
あの、独眼竜、伊達政宗に会いたいと言い出すに決まっているのだから。
それは佐助にとって非常に面倒なことだった。
幸村のいつもにも増した勢いを抑えるのも、独眼竜その人に会うことも。特に、独眼竜に会うことが一番の面倒だった。
佐助は独眼竜のことが嫌いだった。
苦手ではなく、嫌いだった。あの誰に対しても不遜な態度も、戦いの最中で垣間見せる物騒な笑顔も、低く通る声も、全てが癪に触った。
本当は奥州の偵察もあまり行きたくはないが、そこは忍。主の命に逆らう意志はない。
伊達の館に向かえば、すでにその庭園には紅葉が染まり、美しい秋の彩りを飾っている。うちと違って品の良さが漂っているなあと思いながら、この館の主の部屋に忍び込む。忍び込むとは言っても、さすがに天井裏だが。
息を殺し、心を殺し、そっと部屋の様子を窺う。
独眼竜は仰向けに寝転がり、ただ静かに息をしていた。
佐助にすらわずかにしか聞こえない吐息が、彼が生きているのだと証明している唯一のものに感じられるほど、独眼竜は静かだった。
こんなにも静かなときもあるのかと、素直にそう思った。
眠っているのかとも思ったが、それにしてはあまりに無防備だった。――以前、眠っているときに忍び込んだことがあるが、天井に入りこんだ途端に目を覚まされ殺気を放たれた。しかもあの人を食ったような笑顔付きで。こちらのことなど全てわかっていながら、好きにさせておく態度がひどく癪に障ったことを覚えている。
この状態だったら簡単に殺すことができると少々物騒なことを考えるが、下にいる独眼竜はいまだ静かなままだ。
……なぜだろう、無性に苛立つ。
ああ、本当にこのまま殺してしまおうか。そうすればこの苛立ちも、この嫌いな顔も、全てなくなる。
佐助が半ば本気でそう思った瞬間、独眼竜はそっと眼を開け、ゆっくりと腕を挙げた。
「・・・・・・もう少し、待て」
な? と、うっすらと微笑んでみせる。それはまるで戦場とは別の生き物のようで、それは確かに、佐助の知らない生き物だった。
こんな生き物知らない。こんな顔は知らない。こんな声は知らない。こんな静かな生き物は、戦場になどいなかった。
もしも佐助が忍ではなかったら、この場からすぐに逃げ出していた。分らないものと同じ場所にいるのは危険、それは生きるための本能だ。その本能を忍としての理性が押さえ込んだ。
そのまま佐助が動けずにいると、独眼竜は満足そうに眼を細め、「good boy・・・・・・」と呟き、もう一度眼を閉じて、今度はそのまま眠りだした。
独眼竜が眠ったことを確認してから、佐助は逃げるようにその場を離れた。いや、実際逃げたのだ。あの場所から、あの、静かに息をする竜から。
自分がいったいどうしてしまったのか、佐助には分らなかった。ただ、竜の静かな微笑みが、穏やかな声が、離れなかった。
ああ、だから嫌いなのだ。
激しいときも、静かなときも、こんなにも自分を苛立たせる。
それならば何故殺さなかったのか。
殺すことは命令になかったから、命令以外のことは己の仕事ではないからと自身に言い聞かせてみるが、本心は違うことを自覚していた。
あんなに静かなものを、壊せるわけがない。
壊したくなかったのでは、という囁きは、あえて聞かないフリをして、無性に苛立つ心のまま佐助は甲斐へと急いだ。