星降る夜
2階のベランダに出て、ロックにしたウイスキーをカラカラ回していると、肩に何か柔らかいものが掛けられた。首もとに垂れた袖にボタンがついていて、それがグラハムが着ていた秋物のシャツだとわかる。まだ体温が残っていた。
「寒くない」
「酒が回っているんだろう。もう秋だ、寒くないはずはない」
確かに自分の格好を見ると、薄い緑のTシャツ1枚。はた目から見たら寒々しいだろうな、と思う。
シャツを失ったグラハムは白いタンクトップ姿で、おれより遥かに寒々しい。
「これじゃあんたのが薄着だ」
「何を言う。わたしは軍人だぞ」
グラハムは持っていた瓶ビールに口をつけた。
おれもある意味軍人なんだけどね、ということは黙っておく。
「いいって。アイルランドのほうが、もっと寒い」
肩のシャツを片手で取って、床につかないよう丁寧に丸めて渡す。グラハムは素直に腕を伸ばした。しかし握ったのはシャツではなく、おれの手だった。
「何故いつもグローブを?」
理由なんて、言えるわけないだろう。
グラハムはよく自分のことを話してくれた。話の流れとして、君は?と聞かれることは当然で、だがおれはいつも笑ってごまかすしかできない。グラハムはそのうち、あまりおれのことを聞かなくなった。
夜風が首筋に、両腕に、全身にまんべんなく触れ、外に植えられた木々はさわさわと葉をこすりあわせる。
しばらく経ってもグラハムが手を離すことはなかった。
「さあ。寒いからかな」
そう言うと、グラハムは手を離しておれに近づき、肩を合わせ背中に腕を回した。
「これでどうかな」
確かにあったかいな。そう思って目を閉じる。両手はウイスキーのグラスのおかげで行き場を失わずに済んだ。氷が溶けて回り、からん、と音を立てた。
ぴたりと付けられた腰。そこが電子的に震えだした。
「悪い」
一言断って身体を離す。身体を離してもグラハムの両手は肩に乗せられたままだった。
ポケットから携帯端末を取り出す。ちら、とグラハムに目配せをすると、ものわかりのいい彼は夜空に視線を向けた。
携帯端末を再びポケットにねじこみ、グラスをベランダの淵に置いて、丁寧にグラハムの両手を外す。グラハムは持っていたビール瓶を同じように手すりに置いた。
「いつになっても、君は捕まらないな」
おれはまた笑ってごまかすしかない。とっくに捕まっているけど、グラハムが気付いていないのであればその方がいい。
しばらく見つめ合ったあと、挨拶もせずその場を立ち去った。部屋を通って階段へ向かう途中、部屋の真ん中へんで一度振り返ってみた。グラハムは手摺りに体重を預け、俯いていた。
地上に降りてベランダを見上げると、グラハムは小さく手を振った。おれもグローブで包まれた片手をあげ、別れの挨拶をする。今度はグラハムの方が先に立ち去った。誰もいなくなったベランダに残された、危うく佇むウイスキーグラス。
あげた手の奥に夜空が見える。星に願うとしたら、ひとつだ。
明日戦うフラッグが、グラハムの乗る機体ではありませんように。ただそれだけ。