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今更そんなこと言わないで

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あの人を見る彼の目が、自分のそれと同じだと気づいた。あのときは寂しそうにあの人を見る彼が哀れに思えて声をかけたのだが、今思うとそれは違った。自分が限界だったのだ、先の見えない恋に振り回されるのが。僕たちは傷を舐め合って、お互い報われない恋心を押さえつけていた。あの人の笑顔を見るたびに、口から出てしまいそうな気持を必死に押し込めた。あの人を傷つけないように、汚さないように、このどうしようもない気持ちを吐き出すように僕たちは身体を重ねた。お互いに身代わりだと分かっていながら。狂っていたんだ、僕が彼に声をかけたその時から。しかしその狂った行為さえ、僕たちには欠かせない日常だった。その日常が更に狂いだしたのは最近になってからのことだ。彼も気づいている。その証拠に、僕らの逢瀬はいつも突然で前もって約束しておくものではなかったはずなのに、僕は今彼から連絡を受けて彼が部屋に来るのを待っている。

彼は気配を消すことなくやってきた。ギシギシと長屋の廊下に足音が響く。もうすぐ彼が名前を呼ぶ。目を閉じてそれを待った。

「斎藤」

返事を待たずに戸が開かれた。真っ暗だった室内に月明かりが差し込むが、ゆっくり閉じられた戸によって再び暗闇が訪れる。彼の足が畳に擦れてさらさらと音を立て、文机の方へ向かったかと思うと蝋燭に火が灯された。つけ始めの小さな灯が心もとなくゆらゆら揺れる。明りに照らされたいつもと変わらない彼の横顔を見て安心する自分がいる。正座したまま彼のいる方へ体を向けると、彼は片膝をつきどっかりと目の前に座った。彼は、胡坐だったけど。

「えっと、わざわざごめん。話があって」

胡坐をかいた膝の上に肩肘を立て、視線を泳がせながら頭を傾け耳の後ろを掻く。言葉を探しているようだ。彼の言葉を待つことなく、彼をそのまま後ろに押し倒した。布団の敷かれていない畳には、第一印象最悪なぼさぼさの髪が上下左右に広がる。彼は驚いたようで間抜けな顔でこちらを見ていたが、ふと我に返ると抵抗を始めた。

「やめろって、そんなつもりで来たんじゃない。話が、」
「聞きたくない」

彼の言葉を遮るために唇を塞ごうとすると、彼の腕が勢いよく起き上がり、不意を突かれて胸をぐっと押された。一瞬、蝋燭の灯が回転したように見えた。気がつくと彼が上にいて、自分を見下ろしている。形勢逆転、今は押し倒されている状態。彼のちくちくした髪は結われておらず、容赦なく頬を攻撃する。

「聞けって」
「やだ」

言葉の抵抗が意味をなさないことくらいわかっている。しかし、しっかりと手は畳に押さえつけられ、彼の足に挟まれた足は膝を立てることすらできないので言葉でしか彼の唇から零れるであろう残酷な一言を止める術がなかった。だが彼のあやすような表情を見てしまったことで、唯一の抵抗手段も封じられた。

「気付いてるんだろ、兵助の気持ち」

あっけなく触れてほしくない話題に触れられた。彼が泣きだしてしまうのではないかとはらはらしてその表情を読み取ることに努めていたが、どうやら泣きそうなのは自分の方らしい。彼が苦笑いを浮かばせた。

「早く応えてやれよ、兵助に」

あろうことか彼は笑顔を見せた。少しぎこちなかったけれど。自分にポーカーフェイスが向いていないことは薄々感じていたが、彼が笑顔を消して慌てだしたから、自分の顔が崩れていることに気が付いた。しかし余裕のない心で、余裕のある態度を作り出す方法を知らない。言葉を止める方法すらわからない。

「できない」

そう言うと、狼狽していた彼はぴたりと止む。眉をぴくりと動かして、怒りの感情を抱いていることが見て取れた。怒りと、困惑と、驚愕の混じり合った瞳から僅かな希望を読み取れるように思えたことは、自分に都合のいい解釈だろうか。

「なんでだよ!おれに気でも遣ってるのか」

彼の突然の大きな声に驚いたかのように、蝋燭の灯がゆらゆらと揺れた。天井に写る彼の影もゆらゆらと不安定に波打っている。

「兵助くんのことは好きだよ。でも、幸せにしてあげたいのは別の人なんだ」

途端、彼から今までの一切の感情が消えた。新たに現われたのは、絶望。愛する人を失った人間はこのような顔をするのだろう。

「なに言ってるんだ」

「君こそ、自分の気持の変化に気付いてるんじゃないの?」

彼の身体が僅かに反応したのがわかった。彼は、そんなこと言わないでくれ、どうしてそんなこと言うんだ、やめてくれとでも言うようにきつく唇を結んだ。単なる自惚れではないことくらいわかっていた。彼があの人を見る目の中に、恋とは違った苦々しくて汚い感情が見え隠れするようになったのは、そう最近のことじゃない。嫉妬ほどわかりやすいものじゃなくて、羨望に似た、罪悪感に似た曖昧で小さなしこりのようなもの。


「だめだ、兵助はお前じゃないと」

先ほどの大声が嘘のような弱弱しい声が降り注ぐ。そんな似合わない顔をしないで欲しい。彼には笑っていてほしいのに、その術がわからない。この自分の気持ちを無視して、あの人の元へ行けばいいというのだろうか。できない、彼をこのまま放ってなど行けない。彼の手が緩んだことに気が付き、そっと右手を抜き彼の頭を撫でてみた。彼は静かに涙を落した。彼の涙が頬に落ち、さらに僅かに動いた彼の髪がその涙を掠め取る。

「君を手放したくないよ」

素直に言葉を吐き、髪の中に手を差し入れると彼の涙が止まらなくなった。唇を噛んで何かを押し殺す姿を見ていられなくて、彼の頭を胸に引き寄せた。彼は素直にそれに従い、紫色の制服の裾をぎゅっと掴んだ。解放された左手を彼の背中に置くと、縋りつくように彼の身体が密着した。かたかたと震える体を抱きしめてやると、彼は声を我慢するのをやめしゃくりあげるようにあの人の名前を呼んだ。

「兵助、兵助」

自分は一体どこで間違えてしまったのだろう。彼が「ごめん」と小さく呟くのが聞こえた。誰に対する謝罪なのかはよくわからないけど。ぼんやり彼の肩越しに影の揺れる天井を見上げていると、自分の眼尻から涙が一筋流れていくのを感じた。それを拭う気力すらなくて、今はただ彼の涙が止まることだけを祈った。