眠れない大人
た。動きにくい隊員服も脱ぎ捨て、無造作に床に放る。下着以外何一つ纏わぬま
ま、ふらふらとわざわざ洗濯してアイロンまでかかったシャツがかかるハンガー
の傍まで行き、手を伸ばした。ズボンも用意してあったが、何だか手を伸ばすの
が億劫になってしまっていた。別に支障はないだろう。眠れなかったことを考え
ればこの恰好の方が面倒じゃなくていい。身につけているものを一つ一つ脱がさ
れる時の、段々空気に触れる肌の面積が増える感覚はどうも慣れない。口先では
いくらでも慣れたと言ってみせることは出来る。でも、身体は正直でいちいち肌
が空気に晒される度に粟立つものだから厄介だ。毎度初めて触れられたかのよう
な反応をするなんて、女でもあるまい、馬鹿馬鹿しい。シャツだけを身に纏った
状態で倒れ込むようにしてベッドに転がった。真っ白いドレスと、少女を繋いで
いた首輪が主を失ったまま籠の中にある。あの狭い空間の中で、白と黒の世界を
歌い、勇敢な冒険者の物語を語った少女はもういない。彼女もまた人生という名
の冒険にずっと出たいと願い続けていたのかもしれない。ずっと籠の外へ出たか
ったのかもしれない。束縛していたわけではなかった。眠れないという理由で、
彼女に物語をねだっているうちに、もしかすると彼女の方も母性のようなものが
出てきて、仕方なく話の終わりまでは籠の中にいただけのことか。そう考えれば
今の状況も理解できる。でも、頭で分かっていても瞼を閉じて流れてくるのは彼
女の歌、イカと王と勇者の物語だ。
「・・・・どうしたものかな」
「寂しいのか」
背後からの声を辿ってみると、もしこのまま闇の中へ上手く堕ちてゆけなかった
ら頼ろうかと思ってた相手がいた。カタシロだ。光の宿る片目だけでじっと空の
籠を見ている。声はかける癖にこちらに視線は向けられていない。
「・・・君か。いつからいたんだい?」
「ほんの数秒前だ」
「そう。・・・もしかして、僕を罰しに?」
からからと乾いた音を立てて自嘲ぎみに笑ってやる。そうだ、いくら縛ってはい
ないとはいえサイバディを起動し、ゼロ時間で戦う為に必要な気多の巫女を留め
ておくのは自分の仕事だ。罰が与えられても不思議はない。議長である彼にはそ
の権利がある。
「罰か・・・そうだな、欲しいなら与えてもいい」
「何その答え。僕が望んで罰されてるみたい。ないならないで有難い・・・・っ
てああもう、どうしたの、いきなり乗っかってきて」
ヘッドが寝転ぶ横に腰かけたかと思いきや、そのまま上半身を下ろして上にのし
掛かってきた。ギシリ、と軋む音がする。大の男二人の重さに音を上げたか。カ
タシロはそんな雑音に気を取られることなくヘッドの首筋に顔を近づけてきた。
生暖かい息が吹きかかる度にむず痒さが襲う。まるで子供をあやしてるみたいだ
と思いながら、それとなく腕を背後に伸ばして引き寄せた。
「・・・ッあ、ん」
微かにいやらしい音を立てて唇が首筋から離れていく。吸い付いた痕は築何年も
経た柱に刻まれた小さな傷がひっそりと、でも確かに人が暮らしていたことを示
すのと同じように確かな情欲を物語っていた。カタシロは所有したいと思ってい
るのだろうか。愛だの恋だのと考えるのは面倒だし、そういったものが生まれる
関係ではないと思う。じゃあ、一体何を思って?
「・・・ふはは、君はもしかして、僕が欲しいのかい?」
からかうように笑いながら尋ねる。欲しいと言われて全てあげる気など更々なか
ったが、今なら少しならいいかもしれない。人恋しくでもなったのだろうか、た
った一人非力な魚の少女が海へ帰っただけなのに。
「お前にしては随分女々しい質問だな。・・・罰が欲しそうな顔をしていたから
与えてやっただけだ」
「女々しいって、っはは、心外だ」
仏頂面のまま言いのけられる。首筋の痕を人のせいにしているくせに、被さるよ
うな体勢のままだった。まあいい。本当のことなど分からなくても、すっと誰か
に背から糸を引かれて落ちるように眠りにつければそれでいい。瞼の中の不便な
漆黒を一人見続けるのは退屈で、つい昨日まですとんと眠りにつけていたせいか
、久々に一人闇の中をさ迷いながら余計なことを考えてしまって気が狂いそうだ。
「ここに痕つけられるよりもさ、ずっと僕を眠りの淵にいられるようにしてくれ
ないか」
カタシロは一瞬不思議そうな目をしてから、細めるようにして笑う。
「・・・・分かった」
口元に微笑を浮かび上がらせて、ヘッドは目を閉じた。カタシロが肩を掴み、シ
ャツに手をかけるのが分かる。熱を殆ど持たない身体に、マッチで蝋燭に火を灯
すように焦れた熱がこれから灯されるのだ。肌と肌が触れ合った所からじわりと
融和して、溶けるように眠ってしまおう。少しずつ与えられる熱を消費してしま
うまで。衣擦れの音を聞きながらヘッドはカタシロに身を任せた。頭の中で魚の
少女の歌が遠くから微かに、けれど確かに聞こえている。