置情
「お市殿は、怖いなぁ……」
「市が、こわい…?」
「ああ。ワシが隠して、自分でも忘れてしまっていることを見つけてしまう」
「……?」
判らない、という顔をする彼女に笑みを返す。
それすら、彼女には別の表情に見えているのだろうか。本当に恐ろしい。忠勝の後ろにいた幼子から、武器を捨て自分の全てを捨ててまで手に入れた強さと仮面を、彼女は優しい声音で暴いてしまうのだから。
「三成も暴いてしまうのだよなぁ……」
同じ青空の下にいるであろう男を思う。
まっすぐな瞳をして、家康が捨てたものを言い当てて、それがどれだけ残酷なことなのか、奴は今でも知らないのだろう。
最初に捨てたのは、涙だった。
次に捨てたのは、恐怖だった。
最後に捨てたのは、情だった。
――貴様が絆を掲げる理由は簡単に判る。他に、人と繋がれないからだろう。
あれは謀反を決めて、その実行をいつにするかと影で動いていた時期。ひたりと視線を合わせ、純粋すぎる瞳を向けて、三成はそう言った。
三成は一人のようでそうではない。繋がりがある。情でつながっている。豊臣にいた頃は、豊臣秀吉や竹中半兵衛と。兵にも慕われていた。心配されていた。情でつながっている。それを壊したのはまぎれもなく自分であり、だから今こうして恨まれているのも当然だろう。
だが、三成は逆にいえばそうした情しか持っていなかった。
例えば、例えばの話。自分が謀反を起こさず、豊臣秀吉が天下を統一し、太平の世が訪れ、いつか秀吉が死んでしまったら三成はどうなるのだろうと考えたことがある。きっと、その場で自害したのだろうと簡単に想像が出来てしまった。太閤しか見ていなかった男が、たとえその血を継いでいるというだけで他の将軍に頭を垂れるとは思わなかった。秀吉のために生き、死ぬ。それだけの男だった。
(ならば、生かしたいなどとは、おこがましいことだったのだろうが)
憎悪という情を、与えたいなどと。それで生き続けてくれるのならばと。
その考えがすでに情を捨てた考えだ。判っている、三成の言うことは正しい。絆しかないから。それしかないから縋りつく。
「市、あの人はきらい」
思考に沈んでいたのを、隣の声が引き戻す。珍しくむくれた声に苦笑を返した。
「そうは言ってくれるなお市殿。三成もお市殿と同じなのだ」
「同じ? 市とあの人が?」
「ああ」
首肯し、しかしどこが同じなのかという疑問は返さずに西に顔を向ける。
西軍であっても、家康に憎悪する三成であっても、きっと奴は皆に慕われているのだろう。判り難い優しさで情をつなげているのだろう。
うらやましいと思う感情すらすでにない。
そんなものはとうの昔に置いてきてしまったのだから。