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幸せならいいのでしょう?

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 臨也は甲斐甲斐しくみかんのすじをとって帝人に食べさせている波江を見る。
 ここは臨也の事務所兼自宅なわけだが、帝人は気にすることもなく宿題をしている。
 コーヒーを飲みながら臨也はそれを見ているのだが時折波江ににらまれる。
 仕事は終わったのだから出ていくならおまえの方だろと意志を視線に乗せたところで波江の方に動く気配は微塵もない。
 それも仕方がないことだ。
 今までホテル暮らしだった波江はいまではこの事務所に住み込んでいる。
 もちろん臨也が頼んだわけでもなんでもない。
 邪魔すぎる居候だ。
「帝人君、夕飯なにする?」
 デリバリーのチラシを見せれば波江の顔は一層ゆがんだ。
 言葉なく罵られるというのはこういうことだろう。
「私が作るわ」
 新しいみかんを剥きかけていた波江はテーブルに置かれたかごの中に戻しながら立ち上がった。
 剥きかけたみかんはそこから乾燥して食べるときに不味くなるだろう。
 気にしたのか空腹なのかは知らないが帝人はそのみかんを引き寄せる。
「帝人君に聞いてるんだけど」
「私が作るものが食べたいものに決まってるじゃない」
 言い切るその自信はどこから現れるのか臨也には不思議でしょうがない。
 帝人を見ればみかんをすじを取ることなく口にしている。
 面倒なのだろう。
 こちらの話など聞いてもいない。
「臨也さん、外食したかったんですか? いってらっしゃい」
「帰ってこなくていいわよ」
 気のないそぶりが嘘のように帝人に手を振られて、ここは自分の家だとわき立つ思いをどうにか飲み込む。
 こうなった経緯は簡単で帝人のアパートでぼや騒ぎがあり関係ないのに部屋中水浸し。
 幸いパソコンは無事で大切なものなどこれといってなかった帝人だが畳の張り替えだ、これを機にリフォームだとかなんだかあるらしくアパートを追い出された。
 そこで転がり込むのに臨也の家を選択したのはベストチョイスナイス人選と褒めたいところだが実際は違う。
 波江と一緒にホテル暮らしをするつもりだったらしい。
 お金はかかっても愛しい恋人と一緒なら必要経費ですよねと笑う帝人に煮えくり返る想いのまま臨也は自分の家を提供した。
 ベッドは一緒だという条件をたやすくのんで帝人が臨也の家にいるのは大変結構なことだがいらないものもついてきた。
 亡霊のように張り付いている波江を首にしてやりたい気もしたが十中八九帝人から非難が待っているので出来るはずもない。
 一度、二人がそんな仲になったと気づいたときに波江をネブラへ売り渡そうと画策したが帝人にバレて思い出すのも視界がかすむほどの罵りを受けた。
 あんなにかわいらしい声でなんてことを言うのだろう。
 臨也が負ったダメージは深い。
 心の柔らかい部分を滅多刺しにされるというのはああいうことをいうのだ。
 以来、臨也は別に波江に対して優しくなることもないが分かりやすく陥れることはしていない。
 弟などを使おうものなら波江の方から仕掛けてくるだろうが臨也の方にリスクが高い。
 臨也が居ようと居まいとゼロ距離でいちゃついている二人に歯噛みしながらも頼めば風呂場で背中を流してくれたり、湯上がりのマッサージをしてくれたりする帝人に妥協してしまう。
 疲れた日に帝人を抱きしめながら眠るなど最高である。
 至福のひとときを邪魔するように波江が反対側にいることもあったが無視できる範囲だ。
 毒が盛られることもなく三人前の夕飯がテーブルに置かれるのは不満がないといえば嘘ではあるが以前ほどの苛立ちは薄い。慣れは怖い。
「あーん」
 臨也と二人の時の無表情が幻のように波江がでろでろに表情をゆるませて帝人へ肉を食べさせた。語尾に常にハートマークが浮かんでいる。
 細切りの肉とピーマン。チンジャオロースだ。
 野菜たっぷりヘルシーなのはいいのだが臨也の目の前の皿の中に肉がない。
 これはただの野菜炒めだ。
 何とも言えない顔になる臨也に帝人が笑顔で「はい」とくれた。
 皿を。
「どうぞ、とってください」
「優しいわね」
 自慢げに誇らしそうな波江はとりあえず黙ればいいと思いながら臨也は帝人の好意を受け取る。
 帝人の皿の中は臨也側が野菜ばかりで帝人側が肉だ。
 臨也と帝人は向かい合っている。帝人の顔を見ながら食事が出来るのはいいことだ。隣も嬉しいが座れたことがない。
 そこまで肉食ではないので奥へ手を伸ばすこともなく臨也は人参やピーマンを摘むほどもらう。
 火はちゃんと通って美味しいはずなのだろうが切なくなったりして夕食の時間は終わっていく。

 先に波江を風呂に行かせて皿を洗っている帝人の手伝いを申し出れば「家主なんですから」と遠慮される。
 なんだかんだで臨也を立ててくれるのは良妻としての基本が出来ているからだろう。いいことだ。
 とりあえず他のすべてを脇に置いて自分だけのものになってくれれば言うことないのにと思うと苛立ちめいた不満がぶり返す。
「幸せならいいのでしょう?」
 これ以上なにを求めるつもりだと言外に風呂上がりの妖艶さを漂わせた波江が言う。
 上気した肌もしっとり濡れた髪にも隙だらけのパジャマ姿にも反応しない臨也としては溜息をつくばかり。
「ここに暮らし始める日にそう言ったっけね」
 臨也は反省もなく思い出す。
 帝人が自分の半径三メートル以内にいることの幸せを熱弁した。
 波江は自分のことを棚に上げてどん引きし、帝人は「そこまで言うのなら」とこの共同生活に賛成を示した。

「臨也さん、お待たせしました」
 帝人が「入りましょうか」と風呂をさす。
 特に予定もないので一緒に入浴する。
 何もせず立っていると気を利かせた帝人が臨也の服を脱がせてくれる。
 幸せだ。確かに幸せだが。
(これ、生殺しっていうんじゃないの)
 湯船を見て「桃の香りっ」と驚いている帝人のなめらかな肌にできたら舌をはわせたりしたいのだ。
「目、閉じてくださいね」
 優しく言われてしまえば思考も何もかも忘れて頭皮をマッサージする帝人の指先を感じる。
 それ以上のサービスを求めた瞬間に終わることが確実な幸せは幸せなのだろうかという自問はとりあえずお湯とともに流すことにした。

(ま、いっか)

作品名:幸せならいいのでしょう? 作家名:浬@