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ワインとキス

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 ちょっとした好奇心だった。
 他人が食べているものが美味しそうに見えるのは仕方がないことだし、思春期の子供はなにかと大人ぶりたくなるのだ。

 その日の幽谷は地木流の部屋に居た。翌日は土曜日で学校はお休み。加えて部活もないので地木流は冷蔵庫からワインボトルを一本開けた。
 地木流は意外と酒豪で普段はたしなむ程度で抑えてはいるが、家で飲む場合は止める人が居ないので歯止めがきかない。ワインならボトルで三、四本は軽く開ける。
 幽谷は休み前の酒飲みな地木流を見るのはこれで三回目だ。
 グラスに注がれたワインは透明な赤色で、甘く芳醇な香りが幽谷の鼻孔をついた。ワインのパッケージにはブドウのイラストがあるし、匂いもブドウだし、ブドウ味であることは確かなのだろう。
 ただ、普段自分が飲んだことのあるブドウジュースとは具体的にどこが違うのだろうか。地木流が赤い液体を口に運ぶ度に好奇心がむくむくと膨らんでくる。

「一口飲んでみますか?」

 すでにグラス二杯を開けてほろ酔いな地木流は、熱い視線をワインに向ける幽谷に気付き声をかけた。声をかけられた幽谷はまさかお許しが出るとは思っておらず、一瞬考えるもこくりと頷いた。
 少しだけ。という条件の下、地木流が先程まで口をつけていたグラスの底にほんの少し溜まるだけ注いだ。地木流からすれば一口にも満たない、頼りないほどの量だ。
 幽谷はグラスを掴み、少量のワインをそろりと口に含んだ。次の瞬間、なんとも言い難い渋味と苦味と甘味がいっしょくたになって舌から脳内へ駆け抜けた。

「……不味い」

 思わず率直な感想が口からついて出た。

「まだまだ味覚はお子様ですねぇ、ひろ君は」

 ふふふと笑いながら地木流は幽谷を子供扱いするが、本当に不味いのだ。ブドウジュースのような味を想像していたがとんでもない。
 何故大人はあんな喉が焼けるような物を飲めるのか。地木流に至ってはそれを一度に大量に飲むなど、頭がおかしいとしか思えない。自分の舌がお子様味覚というわけじゃない。あんな不味い物を飲める大人がおかしいのだ。
 否定しようとその場を立ち上がろうとしたその時、ふと体の異変に気が付いた。異様に体が重く、立ち上がれないのだ。
 無理に立ち上がると途端に足がもつれ、バランスを崩した。とっさに地木流の肩に掴まりながら元の位置に座り直してしまった。
 その様子を異変と捉えた地木流は幽谷の顔を除き込むと、にやりと笑った。

「あなた、酔ってますね?」

 大丈夫ですかと声をかけながら幽谷の背に手を置くも、その表情は心配そうではなくむしろ楽しそうだ。
まるで、初めての体験をする幽谷の様子が見れて愉快というような、多少の意地悪さが含まれた笑い方である。
 逆に初めて酒に酔うという経験を今している幽谷はたまったものじゃない。今まで正常に見えていた地木流の部屋は一変した。全体的に歪み、常にぐねぐねと動いている。
地木流の顔も同様に蠢きまともに見えない。心なしか頬と体が熱い。頭の中も茹であがっているかのようだ。

「おやおや、たったあれだけで。まぁ、アルコール度数は高いですからね」

「……せんせ」

 幽谷がぽつりと呟いた。
蚊が鳴くような声で、よほど静かにしていないと聞き取れないくらいだ。

「はい?お水持ってきましょうか?」

 今度こそ心配したのか、酔いのせいでうつむきっぱなしの幽谷の表情を伺うように肩を下げた。

「……キスしてくれませんか?」

 今度ははっきりと聞き取れた。
 幽谷の大胆な発言に地木流は一瞬固まる。そして念のためもう一度聞き返したが、やはり幽谷からの答えは同じだった。
 改めて今の幽谷を見ると、バンダナから見える頬は赤く蒸気していて吐息が荒い。地木流にキスをして欲しいとすがりつくその姿に、否応なく反応してしまう。
 地木流は酒の力もあり、理性などとうの昔に置いてきてしまった。幽谷の肩を掴んで軽く、ついばむようなキスを数回した。
 幽谷の肩は唇が重なる度に震えた。互いに唇を離すと、幽谷はぱたりとその場に倒れた。

「ひろ君?」

 顔を見やると、静かな寝息をたてている。どうやら眠ったようだ。
 地木流は思わず落胆した。先程までの幽谷との甘い雰囲気に、すっかり自分の下半身は反応してしまったのだ。てっきりあのまま情事に繋がるとばかり思い込んでいたのに、ものすごい肩透かしを食らった。
 まさか眠っている相手を襲うわけにもいかない。仕方なくその日は自分で慰めた。
 そして、幽谷には今後一滴も酒を飲ませないと固く心に決めたのだった。


糸冬
作品名:ワインとキス 作家名:杉本 侑紀