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里海いなみ
里海いなみ
novelistID. 18142
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大天使の子育て

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――――お前、この子育ててみぃひんか?

そう言って神が差し出したのは酷く小さな小さな、か弱い生き物だった。
これはヒトというのだと、私より遥かに大きな神はそう言った。立って歩くのがやっとだろう年頃の小さな子供、くるくると巻いた柔らかな巻き毛は透き通るような金色で私なんかよりもよっぽど天使のようだった。神の両手から私の両手へと移るその幼子は青い大きな瞳で私を見つめた後にっこりと、花が咲き綻ぶように笑ったのだった。

「るーえうー」
「違うぞイーノック、ルシフェル、だ」
「るいえ、う?」
「惜しいなイーノック」

まず名前を教えるべきだと言われ、幼子の名前を神から聞きだした後私の名前を覚えさせる事にした。しかし上手く舌の回らない幼子は一度も私の名前を正しく口にする事は無い。本来ならば覚えるだろう苛立ちは何故か頭には浮かんでこず――むしろどこか愛おしささえ感じてしまっていた。
あまつさえふにふにと柔らかな手で私の指を握りそのまま口に運んで咥えてしまったとしても、だ。
そう……例えるならば、敢えて表現するならば、EMT。EMTとしか言いようがない。
こんな姿を他のアークエンジェル達に見られたとしたら……なんて考えても仕方がないが今の私の顔は緩みに緩み切ってしまっている事だろう。
神は何故エゼキエルでなく私にこの幼子を預けたのだろうか、指を咥えたままで楽しげに笑い声を零す幼子を見下ろした。指なぞ吸ったところで何も出ないだろうに一心に吸い続けるその姿は非常に可愛らしい。天使も真っ青だ。うっかり堕天しそうだ。

「るいー」
「ルシフェル、だイーノック」
「るー、え、うー……?」
「……よし、わかったイーノック。今はそれで我慢しよう」
「あい!」

果たして判っているのかいないのか、幼子は私の言葉に元気よく返事をした。未来のこの幼子のように「大丈夫だ、問題ない」などとは口にせずただ一言、舌足らずに。
未だ私の指に吸いついているその幼子を持ち上げて膝の上に載せてみた、酷く軽く羽根のようだ。吸われているのとは反対側の手で幼子の真っ赤に熟れた知恵の実のような頬を摘んでみる、一瞬驚いたような表情を浮かべたが泣き出す事は無くまた一心に指を吸い始めた。何故こんなにも指に執着するのだろう。

「……?」
「あらルシフェル、その子が神から預けられた子ですか」
「……あぁ、エゼキエル。見ての通りこいつは話を聞かずに指ばかりを吸っているんだ、困ったものだよ」
「ふむ……それはきっと、お腹がすいているのではありませんか? 待っていなさい、すぐにミルクを用意しましょう」
「あぁ、すまない」

私なんかよりもエゼキエルに任せた方が良かったんじゃないか、神。
ガラスでできた瓶にミルクを満たし、その先についた柔らかな素材でできた吸い口を幼子の口元へとエゼキエルが運ぶ。だが幼子はそれに目もくれず私の指を吸い続けた、困ったような表情で笑うエゼキエルは何かを思いついたように一つ頷き「やってごらんなさい」とその瓶を私に押し付けたのだ。エゼキエルがやって駄目なものが私に出来るわけがない、そう思いながら受け取ったガラス瓶を幼子の口へと近づけた。

「ほらイーノック、ミルクだ。飲め」
「あー、う」

ちゅぽん。
そんな音が聞こえたかと思えば一心に私の指に吸いついていた幼子はガラス瓶へとその矛先を向けた。どういう事だとエゼキエルに視線を向ければ穏やかな母性溢れる笑みを向けられてしまい、何も言えなくなる。いったいなんだと言うんだ。
んくんくと喉を鳴らしながら一生懸命にミルクを飲む姿は非常に可愛らしい。先程までの無邪気な笑みを向けてくる様子も可愛らしかったのだがこの姿も充分讃辞に値する。幻覚だろうがその背後にうっすらと白い翼さえ見えてくるようだ。ああ、EMT。

「全てを飲み終えたら抱きあげて背中を叩いておあげなさい、きちんとげっぷが出たらあとは抱っこしてあげていればいいでしょう」
「……ヒトの子供は面倒だな」
「顔が緩んでいてよ、ルシフェル」
「ろっとぉ、それは気のせいじゃないか?」
「……神に任されたのですから、しっかりと面倒を見るのです」
「ああ、勿論だとも」

それではね、と一言言い置いて去っていくエゼキエルを見送ったちょうどその直後にミルクの瓶は空になった。随分と食欲が旺盛だな、イーノック。言われたとおり抱きあげ背中を叩いてやる、この行動にいったいどんな意味があるのかいまいち理解できないが繰り返しゆっくりと叩いてみた。暫くそう続けていると耳元でけぷり、という小さな音とともにミルクの匂いが漂ってきた。これでいいのだろうか、些か戸惑いながらも最初に神に教わった通りの横抱きにしてみる。腹が膨れた事で赤ん坊は眠くなるのだとミルクを与えている間にエゼキエルが零していた事を思い出しながらゆらゆらとその腕を揺らすと幼子は小さな手を持ち上げて目を擦り始めた。眠たいのだろう。何往復か腕を揺らしていれば、そのまま幼子は夢の世界へと旅立った。
その寝顔、まさにEMT。神から貰った通信機で思わず写真を撮ってしまう程の可愛らしさだった。……ああ、もちろん君たちにもそのうち見せてやろう。

――――こうして私は、暫くの間イーノックを育てる事になったのだ。
作品名:大天使の子育て 作家名:里海いなみ