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茨の森で

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渋々ノックした部屋からはすぐさま「入れ」の返事がして、がっくりと
肩が落ちた。
いなくていいのに。呼び出しといて留守という無礼もこの人には許せる。
それくらい顔を合わせたくない。特に、二人では。


「失礼します」
「急に呼び出して済まなかったな、ウルリケ」
「いえ……」
すまない、なんてこれっぽっちも思ってないのがよく分かる、底意地の
悪そうな目の眇め方が嫌いだ。
だけど私は逆らわず、彼の視線が指示するまま執務机の前に立つ。
「どうして呼び出されたか分かっているのかな」
組んだ足の上で更に組んだ手をのせて背もたれに体重をかけて深く革張り
のソファに沈む。見上げられているはずなのに、見下されてる気になる。
本当に気に入らない。弟が毛嫌いするのも分かる。
「……分かりません」
「はっ!呆れたな。自分の過失にも気づけないとは」
わざとらしく首を振ってみせる仕種も燗に障る。今すぐヒステリックに
怒鳴り付けて踵を返してしまいたい。なのに私は俯いて唇を噛んだ。
脳裏に浮かぶのはいつまでたってもどこか頼りない弟の顔だ。
ギッと椅子が音をたて、私のものとほぼ同型のコートが翻る。

彼はコツコツと踵を鳴らしながら近付いて、すっと長い指で私の腹の辺りを
さし示した。
「ボタンが、取れている」
カッと頭に血が上って、私は叫ぶのを止められなかった。
「……誰のせいだとっ……!」
黒いコートの下腹に近い位置、その釦ホールは今、ぽかりと役目を失っている。
輝く金の釦は確かに昨日まではあったものなのに。
くつくつと可笑しそうに笑って、そういえばとわざとらしい声を出す。
「今朝、私の部屋に釦が一つ落ちていたな。しかしほら、見ての通り私の
 制服は完璧でね。あれはもしかしたら君のものかな?」
「……っ」
白々しい。その糸を引きちぎったのは何処のどいつだ。
悔しくて腹立たしくてちかちかと目眩がする。
だけど、睨み上げた顔はそんな無様な私の姿すら楽しんでいた。
「取りに来るかい?それとも」
怖い?と唇の形だけで問われ、怒りと一緒に昨夜の恐怖もこみ上げてきた。
何でもないと、言い聞かせたって身体が怯えている。そんな自分にも腹が
立つし、そうさせる彼が尚更憎い。
ちくしょう。
その顔を余裕を引き裂いてやりたくて、後先なんて考えず一発殴り付けて
やろうと拳を握った時、含み笑いを湛えた声で彼が囁いた。
「怖いなら、弟さんに取りに来てもらえばいい」
瞬間、目を見開いた私に、彼はにっこり笑いかけた。
「君によく似た、綺麗な顔の弟さんにね」
背筋がぞっと冷えて、握った拳はいつの間にかほどけていた。
いつまでもどこか頼りない可愛い弟。
この悪魔みたいな奴をすら、ひたすらに慕っていた可愛くて馬鹿な私の弟。


ゆっくり目を閉じた私の耳にクスクスと彼の笑う声が響く。
「では、今夜」
言い残して、足音が遠ざかる。噛み締めた唇がヒリヒリ痛んだ。
誰か、と祈る。
どうか、誰か、私をここから連れ出して。
願う相手もいないのにただひたすら、私は祈る。


誰か、私を迎えに来て。


                    <茨の森で>
作品名:茨の森で 作家名:_楠_@APH