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秋風邪

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 風邪を引いた。
 それも厄介なことに高熱を出している。
 夏の疲れと、最近急に冷えたのが原因らしく、どうも体がだるいと感じた。おかしいと思い、なんとか近所の内科にかかったところ幸いなことにインフルエンザではなく高熱だった。
 最悪の事態は免れたものの、無理に登校することなどできず、結局は数日休むことになった。インフルエンザでなくとも久しぶりの高熱は体に堪えた。
 少し前なら自ら頼まなくても当時付き合っていた女性たちが勝手に部屋にやって来て、甲斐甲斐しく自分の世話をしてくれていた。だが今は事情が違っていて一人だ。厳密に言えば二人だが体は一つなので、結局は高熱で思うように動けない体を横たえているだけだった。
 あまりの孤独感に地木流はサイドテーブルに置いた携帯を手にした。愛しの幽谷宛てに冗談半分に高熱で動けないから、看病をしてほしいとメールにして送信した。送信完了の画面を確認した直後に、地木流に重たいまどろみが襲いかかった。

***

 次に目が覚めた時には、自分の部屋に人の気配があった。キッチンから物音がする。地木流はまさかとは思ったが、半信半疑でベッドから這い出た。引きずるような足取りで物音のする方向へ歩み寄る。
 そこには私服の幽谷が、スーパーの袋を片手に冷蔵庫を開けている姿があった。

「……ひろ君?」

 意識が朦朧とする中、その一言だけを絞り出す。
 すると幽谷は声が届いたのか地木流に対し向き直った。

「あ、お邪魔してます」

 そっけなくそれだけ言うと、スーパーの袋をシンクに置いて地木流に近づいた。そっと手を握ると、地木流の手は異様に熱かった。

「先生、手伝いますからまずは着替えましょう」

 クローゼットから適当に部屋着を引っ張り出してきた幽谷は、ベッドに腰かけている地木流を見た。目は虚ろで焦点が合っておらず、頬は熱のせいかいつもより赤い。それに額に手を当てると異様に熱く、熱を出して辛そうにしているのは一目瞭然だった。

「今着てる服、脱いでください」

 そう言って脱ぐように指示をすると、地木流はもたついた手つきで今着ているパジャマのボタンに手をかけた。しかし熱のせいか手が鉛のように重たい。指先も固まったかのようにうまく動かず、ボタンを外すという些細な動作さえ難しかった。いつまで経ってもパジャマが脱げないでいる。
 やがてしびれを切らした幽谷はパジャマのボタンに手をかけた。素早く全てのボタンを外し、脱がせると替えのTシャツをこれも幽谷が上から被せるように着せてあげた。パジャマのズボンも同様に着替えさせてあげる。
 あまりしたくなかったが、下着も汗で湿っていたので替えを差し出した。この着替えだけはどんなに時間がかかろうと、本人にさせた。
 まるでまだ一人で着替えが出来ない子供を相手にしているようだと思いながら、着替え終わりベッドに体を横たえた地木流の額を撫でた。

「じゃあ俺、食べ物持ってきます」

 熱で意識が朦朧とする中、地木流はゆらゆらと考えを巡らせていた。確かに幽谷には看病に来て欲しいというメールは送った。だがそれは冗談半分に送ったもので、過度な期待など最初から持ち合わせてはいない。
 それに、尾刈斗中学校まで車で通う距離に地木流の住むマンションがあった。幽谷の自宅から歩いて来るとしたらそれなりに歩く距離だ。自転車で来たとしても気軽に立ち寄れるほど近くはない。
 それなのに幽谷はあの冗談半分のメールを見て来てくれたのだ。病気の時には気落ちしてしまうのも相まって、地木流の胸には言い様のない暖かい感情が溢れていた。ますます幽谷のことを愛しく思う。

「先生、桃切ってきましたよ」

 幽谷の声のする方へ顔を向けると、彼女は皿に切り分けた桃を載せてきた。器用に実を切りすぎることもなく五等分に切り分けられている。
 皿をサイドテーブルに置くと、幽谷はフォークでひときれ桃を取り上げた。

「……食べられますか」

 静かに一言だけ聞いてきた。桃は地木流の口元にまでやってきている。せっかく幽谷が用意してくれたものだ。無下に断るのは無粋というものだ。地木流は無言で口を開けた。
 一口かじってみた。するとまず最初に感じたことは味がしないということだ。決して桃が粗悪品というわけではない。地木流がおかしいのだ。
 熱で味覚が麻痺している。元々頼りない味の桃の甘味を今の状態で感じとるのは難しい。だが、その後に果汁が舌の上から喉を通り、体に吸収されていくのが分かった。  乾ききっていた体に桃の果汁はとても美味しく感じられた。りんごよりも柔らかいその果肉は食欲が無い体にも優しい。あえて季節外れで見舞い品の定番を避けて桃を選んだのは幽谷自身か、それとも幽谷の母親か。どちらが選んだとしてもなかなかいいセンスだと思う。病人のことを一番に分かっているチョイスだ。
 一切れ食べ終わると、地木流はそのまま眠った。すぐ側に幽谷の手の温かさと、充実感を感じながら。

***

 その晩、結局幽谷は心配だからと地木流の部屋に泊まった。その間も甲斐甲斐しく着替えや食事の世話をしてくれた。そのおかげもあり、翌日には高熱がすっかり下がっていた。
 幽谷には感謝しなければいけない。学校に復帰した後も、どういったお礼をしようか。そんなことばかり考え続けている。


糸冬
作品名:秋風邪 作家名:杉本 侑紀