鳥籠すらない
嬉しくて「ただいま」と笑いかければ帝人が「それは?」と首を傾げた。
臨也の手の中にあるのは少しくたびれた封筒。
よく見ているなと感心しながら臨也はベッドの中で上半身を起こしている帝人を飛びつくように抱きついた。
「そんなにいいことあったんですか?」
不思議そうに言ってくる帝人に臨也は無邪気に「うんうん」と何度もうなずく。
童心に帰るとはこういうことだ。
臨也は子供のように単純に喜びだけを感じた。
「帝人君が死んだんだ」
「え」
腕の中で驚きに固まっている帝人の首筋にほおずりするように顔を寄せる。速くなっている鼓動が手のひらから伝わってくる。
「同じような年で体格の子がちょうど焼死体であってね。そういう遺体を本人確認するのに遺伝子鑑定とかだろうけどその前に何者かに奪われましたっ」
帝人から離れてその驚愕に彩られた顔を見る。
楽しくて仕方なくてその場でくるっと回った。
「撮影した歯形は残っていたのでそれを照合してみたら竜ヶ峰帝人! 遺失物も彼の名前だから遺体はなくなっちゃったけどあの焼死体は帝人君だねってことで」
無邪気な笑顔で臨也はまくし立てる。帝人はきっと半分も聞こえてはいないのだろう。
目を見開いたまま強ばった表情がとけない。
「えへっ、こんなにトントン拍子に事が運ぶとは思わなかったよ」
自分の手腕に照れるとでもいうように臨也は笑う。
ふるえることも出来ない帝人の頬に触れ、顎を上向かせる。閉じることない瞳に臨也が映る。
帝人に映る臨也の姿は無邪気どころかハイエナのようなぎらついた眼差しで口元だけ笑みを形作っていた。
「帝人君、嬉しい?」
「・・・・・・ぁ」
吐息のような言葉にならない声だけで目をそらすこともない帝人。
臨也はそれ以上求めず帝人の頭を絞め殺すように抱きしめる。痛がるような悲鳴が聞こえて「ごめんね」と口先だけで謝って力を緩めることはしない。
「ありがとうございます。もういいですから」
不服の色すら滲ませない帝人の声に臨也こそが不満を抱いたが痛みによって帝人の目尻に涙が浮かんでいたので手を離す。
涙を拭うことも出来ない帝人に笑みのまま臨也は顔を近づける。
生理的な涙ではなくもっと大粒のものが見たいと思いが伝わったわけでもないだろうが帝人の頭が臨也に打ちつけられる。
石頭というほどでもないが容赦ない帝人の力加減に臨也は痛みにベッドから一歩遠のく。
帝人は謝ることもなく顔を壁に向けた。
「だって、帝人君が平気そうな顔するから」
「どこがですか! 平気なはずないじゃないですかっ!!」
金切り声は久しぶりに聞いたと臨也は嬉しく思いながら「ごめんね、勘違いして」と帝人の黒髪にくちづけた。
「もういいでしょう。本当に僕を殺したいんですか?」
ふるえる帝人はきっと泣いているのだろう。
細い肩がいじらしい。
「帝人君、もう死んじゃってるから死なないって」
「詭弁は懲り懲りです。屁理屈なんか一人でこねててください。付き合えるわけないじゃないですか」
涙声で切々と訴えられる。
かわいい。愛らしい。たまらない。
「でも帝人君ここにいるじゃない」
帝人が振り向く。
臨也の目にかすかに帝人の髪がはいったが続く言葉に痛みなどとんでしまう。
「好きでいるわけないじゃないですか! あなたが、あ、なた、がっ」
帝人の言葉が急激に勢いを落とす。帝人の瞳の中の臨也は笑っていなかった。
「も、う、いいです」
諦めたように首を振る。涙がポロポロと落ちていく。帝人が人魚だったなら真珠が沢山だっただろうと臨也は思った。
どれだけ沢山とれたところで誰にも売る気は持てない。
「臨也さん」
指先で濡れた頬をなぞれば帝人が困ったようなすがる顔をする。
理由などよく分かっているので臨也は上機嫌に「なあに?」と首を傾げた。
涙の止まった瞳は閉じられ羞恥に頬は染まっていく。
ゾクゾクと背筋に走る快楽を臨也は無視できない。
こんなもの与えてくれるのは帝人だけだろうと臨也は信じてやまなかった。
「大好きです。だから、トイレ連れてってください」
耳や首まで赤く染めて絞り出すような帝人を臨也は抱き上げる。
別にこの場でしろと言ってもよかったが気分がいいので臨也は望み通りに連れていってやる。
帝人は手も足もある。
それでも機能していない。
臨也に隠れてリハビリなどしていたものだから精神的にも打ち砕いておいた。
手も足も帝人についているが帝人にとっては使えない重りでしかない。
筋肉はやせ細りその内、皮と骨ばかりになってしまうだろうが帝人は気にしないだろう。
もうそんなことを考える時期は過ぎてしまった。
あるいは臨也がいない間は物思いにふけっているのかもしれない。
「そんなわけないよね? 幸せだもん」
臨也の言葉に「いいですから、ドア閉めてください」と素っ気ない。帝人はいつまで経っても照れ屋がなおらない。そこもいいところだと臨也はうなずいて「呼んでね」と扉を閉める。
どうせ帝人は手が使えないのだから臨也を呼ばずにはいられない。頼らざる得ないのだ。
わかっているくせに遠ざけてみたりするのは恥ずかしがり屋だからに違いない。
扉を一枚隔てた向こう側の帝人の嗚咽を聞きながら肩が濡れてしまっているだろうから着替えを用意しようと臨也はスキップしながら衣装箪笥へ向かう。
帝人は絶望と孤独と虚しさとやる瀬なさに打ちひしがれつつ、他に方法がないから臨也の名前を呼ぶのだ。
「日記を付けよう」
幸せな日常を書き綴るのだ。
何もかも頭の中で済ませていた臨也だが帝人とのことを記録に残すのもいいだろう。
帝人が忘れたら読み上げてやればいい。
極上の反応が返ってくるはずだ。
一粒で二度おいしいとはこのことだと臨也は笑った。