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おひめさま、おやすみちゅう。

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空に君臨する太陽。
頭上から下界に向かって万物を照らす光は、暖かく、穏やかで。
優しい風が背の高い草をかさかさかき分け、どこかへ去っていった。

グラナ平原は誠に今日も平和でいい天気だ。
場所によりゴブリンやムルといったモンスターが出る地域もあるが、それを除けば人畜無害の小動物が時折草むらから顔を出す程度。
パトロール中にちらほらとハイキングやピクニックを楽しんでいる人たちを見かけたのも、いかにこの場所が安全かを示しているだろう。
流石に南の砂漠には流石に近寄らないだろうが、きっと彼彼女らは三叉路の遺跡を見たり、少し足を伸ばして南の森に行ったりするに違いない。


「平和なのは大いに結構!勇者の僕の実力を見せられないのは残念だけどね」


もし傍らに聞いている人がいれば、失笑か思わず笑みが零れてしまうであろう、自信満々(過剰ともいう)な発言をしつつ。
デュランは日だまりの丘に向かう緩やかな傾斜を歩いていた。

途中の道には、いつも徘徊しているはずのライオンライナーが頭上に星を巡らせ気絶している事から。
彼がこれから会いに行こうとしている少女は、確実にここを通ったと思われる。

……彼女は、とても腕が立ち、失われた徒手流派を含め五流派全ての武術を身につけ、そして無駄な殺生は好まない心優しい人物なのだ。
自分には無い物を全て持つティア……彼女の名前である……を、デュランは羨ましく思ったり、ほんの少しだけ妬ましく思ったりしていたりしたが。
今は彼女を見ると誇りと供に、くすぐったい甘酸っぱい気持ちで一杯になる。

――……彼女は、デュランの恋人なのだ。

大会前夜に想いを伝え、空き家の前でキスを交わして。
その時の唇の感触と、間近に見えた震える睫毛と。
真っ赤に染まった頬と、さらさらした髪の毛とを思い出して。
懐かしく甘い過去に振り返って現実の周囲の注意が疎かになり、案の定……。


「う、うわぁっ!?」


足元の石に蹴躓いて、派手に転んでしまったのだった。
勇者の帽子が頭から飛び、青空の下を舞う。
地面が柔らかい草地だったからよかったものの。

「いててて……」

したたか額を打ち付けて、痛い。
しかし、デュランは勇者である。すぐさま起き上がると、額についた草を払い、傍に転がっていた帽子を被った。
そして、前方を見て自分が目的地に着いた事を知ったのだ。


日だまりの丘。


白亜のフランクル城が一望出来る場所。
謎の石碑があり、いつもぽかぽかで心地よい空気に包まれている……のにも関わらず。
ここに来ると妙な居心地の悪さを覚えてしまうのだ。

いかに自分が矮小だと見せつけられる気がして。
この神聖な場には相応しくない気がして。
つい回れ右をして元来た道を戻りたくなってしまう。

平原散策を楽しむ人々も、決してここだけにはやってこない。
モンスターや、動物でさえ避けて通るこの場所は、風が通り抜ける音がはっきり聞こえるぐらい静かで。
彼女の絶好の昼寝ポイントなのだ。


「ティア……」


探し人の名前をデュランは思わず呟いた。
カレイラで一番強く優しく愛しいその人は、日だまりの丘で唯一生えている木に寄りかかって座っている。
彼女は、デュランの姿を見たら、直ぐ様手を振るなり駆け寄ってくるなり態度で示してくれるはずだから。これは完全に眠っているのだろう。

そう判断したデュランは迅速に、かつ、足音をたてないようにして、ティアの元に駆け寄った。
すやすやと気持ちよさそうに眠っている彼女が可愛らしくて、思わずデュランの頬は緩んだ。


(そういえば、こうやって寝顔をみる機会ってなかったっけ)


ティアとは紆余曲折を経て恋人関係に至った訳だが。
一緒に一夜を過ごすどころか、実はあの日あの時以来キスを交わしてない。
共同作業といたら一緒に街のパトロールか、よくて手をつなぐぐらい。
いっそ額にいれて飾っておきたいぐらい、健全なお付き合いをしているのである。

寝顔をまじまじと見て「可愛いな……」 と呟いて。
父グスタフの使いでティアを呼びに来たと言う事をすっかり忘れて、彼は暫くの間見とれていたが。
前髪、睫毛を、閉じられた瞼を順々に見、ふわふわとした頬っぺたに目をやって、唇まで視線を下ろして。
ふと彼の脳裏に(キスしたいな……) という若者らしい欲求が掠めたのだった。

次の瞬間にはその願いの浅ましさに気が付き(いやいやいやいや、僕は何を考えてるんだ!) と猛烈な勢いで首を横に振った。
しかし、一度目覚めた欲はデュランの中で根を張っていて、簡単に離れてくれそうになかった。

動きを止め、もう一度彼女の唇を見る。
みずみずしく、健康的、ピンク色で――……駄目だ、目が離せられない。

引き寄せられるようにしてデュランは屈んだ。
帽子を脱ぎ、貴婦人に忠誠を誓う騎士のように左胸心臓の部分にそれをあてがい。
顔を近付け……目を覚ますな目を覚ますなと小声で繰り返しながら。
目を硬く瞑って、唇を付けるだけのキスをした。

……丸々五秒経ってから、目を開く。
目の前にあるのは、変わらず眠り続けている恋人。
気付かれなかったようだ、と安堵すると同時に、段々と熱を帯びていく頬。


(やってしまった!!)


デュランは勢いよく後退ると踵をかえし、砂ぼこりを巻き上げる勢いで丘を降りて行った。
父の言伝を忘れて。とにかく敵前逃亡。
勇者にはあるまじき行為だが、時には撤退する勇気も必要!と自分で自分を誤魔化しつつ、彼は全速力で走った。
だから、故に気が付かなかったのである。

熟睡していたはずのティアの唇が小さく動き、


「いくじなし」


との言葉を紡いだ事に。






(お姫さまは勇者のキスで目が覚めるんです)