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優しさということ

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 優しくないことなど世界にあふれているのだ。
 慈しみ抱いていくそのことに戸惑いなどは無縁で心は自由だと嘯くのは勝手。
「ねぇ?」
 たずねるような声音になったが臨也の言葉を帝人は聞いてもいないだろう。
 聞こうとする気もないに違いない。
 別に構わなかった。
 吐き出し続ける言葉は届けるためのものではなく臨也が口にするのが目的なのだから。
「君の考えた優しさとはどういうものなんだろうね」
 やわらかな喉をたどって鎖骨をなぞりえぐれた胸に手を埋める。
 まだ温かい。
 パッチンパッチンとあばら骨を折り取ったのは重労働だった。
 背中からという一般的な方法をとらなかったのは帝人の顔を見ながら事に及びたかったからだ。
 麻酔も一切せずにごっていく瞳に臨也を映すだけ映して帝人はいなくなってしまった。
 これはただの肉だ。
 えぐった心臓はハツだし、あばらのあたりは骨付きカルビなのだろう。別に帝人は牛ではないが。
 目の前であぶって食べてやったが帝人の反応はよくなかった。もう意識がなかったのかもしれない。
「骨粗鬆症?」
 パッチンパッチンと音を思い出す。
 のこぎりや金槌の出番だろうに帝人の骨は臨也が持ち出した器具で簡単に折れた。
 もちろん本当はガッチンガッチンだったのかもしれないが、臨也の耳には果物が熟れて弾けるような瑞々しいさわやかな音に響いた。
 ぐちゃぐちゃと温かな部位を押しつぶしてく。胃だかなんだか周辺の内蔵はもう全部臨也の中。
「皮と骨だけの君も愛してるって言ったらさ『優しいですね』って返してくれたよね」
 悪臭漂う手のひらを臨也は微笑みくちづける。
 儀式のよう。
 舐めることもせずただ唇に赤黒い色を乗せる。
「君の好きそうな都市伝説。なんだっけなあ『人が一番きれいな瞬間に殺してくれる死神』? それが俺だね」
 月明かりに照らされた帝人の白い顔。
 その内、形を保つこともなくなる肉。
 臨也は溜め息のままにその爪のない指先に頬を寄せる。
 唇をかすめたのか帝人の指が少し汚れた。かわいそうだったので舌先で触れてあげれば唾ごと吐き出したくなるような味。膿だ。
 鼻につく錆びたにおいを思い出すような気分に少し笑う。
 常にかいでいて忘れてしまったかと思った死臭。
 こんなにも傍にあるのに遠い。それは多少気分がいいものでもある。
「独占してるって感じだもんね」
 笑いながら帝人の指先にかじりつくものの上手いところに歯がはいらなくて歯形がつくだけ。
 カミソリでも歯の中に仕込めばよかったのだろうが生憎と持ち合わせがない。
「優しく、優しく食んで啜ってとろけさせて」
 開いたままの濁った瞳を閉じさせる。
 悼む気持ちしかない。
「それでも君は手に入らないじゃないか」
 愚かなことをしたなどと反省できれば、まだよかった。
 臨也は満足していた。未だに渇望はひどいがそれでもよかった。
「君の心は自由だ。体など簡単に捨ててしまったね」
 優しさで手に入るものなどわかりようもない。
 今の臨也には胃袋の中にありこれから排泄されていく帝人を思うことしかできない。
 排泄と同時に思いも外へともれていき、いずれ全ては風化するのだろうか。
 消えてなくなるその前に自分が消える選択を臨也はきっと選ばない。
「じゃあね、また会おう」
 その肉を、骨を、何もかもを取り込んだところで満たされることはない。
 人は矛盾するのだ。いつだって。
 悲しみもなく切なさもなく優しさもなく、微笑みもない。

「俺はある一つの結末として、これはそこまで悪かったとは思わない」

 帝人が聞いたのなら「あなたが死ねばいいのに」と、もっともな言葉を返しただろう。

「俺は、ね」

 幻聴に臨也は肩をすくめてみせた。
作品名:優しさということ 作家名:浬@