金魚と君の共通点
「こんなもの……今朝はあったか?」
玄関口を入った瞬間に目にとまったものを指差して、アドルフは首をかしげた。
たまたま居合わせたヘスラーが、アドルフの人差し指の先端が向く方向を辿っていくと、その先には小さなガラス製の器がひとつ。
いや、器、というか、なんというのか、これは。
「花瓶、か……?」
広い口の周りはひらひらと波打ったようになっていて、しかし花を挿すのには些か口が広すぎるように思う。
第一、今現在、その器の中に花は一輪とて差しこまれてはいない。
花の代わりに、八分ほどまでたっぷりと注がれている水の中には、色鮮やかな赤、というか、朱というか金というか、光を受けると僅かに輝くような色の生き物がひとつ、ひらひらと浮かんでいる。
ああ、と笑って、ヘスラーが答えた。
「金魚鉢、というのだそうだぞ」
「キンギョバチ?」
「日本ではこの魚を入れるのに割と一般的らしい」
金魚というんだそうだ、というヘスラーも、おそらく詳しく知っているわけではなさそうだ。
金魚。
なるほど、そういえばそんな観賞用の生き物が日本にはいるのだと聞いたことがあるような気がする。
観賞用の、熱帯魚のようなものだろうか。
そして、この変わった形の容器は、その生き物を入れるための、日本では一般的な入れ物だということらしい。
そう思って見やれば、観賞用というだけあって、微妙な色合いの小さな魚は長い尾ひれをひらひらゆらゆらと揺らめかせて、確かに美しい。
まるで柔らかい布地がそよ風に揺れるようにふわふわと水間に漂うのは、よく見る熱帯魚とはまた違った趣がある。
しかし、
「……こんな小さな器では酸素が足りなくならないか?」
ほんの小さな魚だが、少し泳げばすぐに壁面に行きあたってしまう程度の広さしかない。
すぐに死なせてしまってはかわいそうだと思ったのだが、
「さあ。こまめに水を変えればいいんじゃないか?」
ヘスラーはいたってのんびりと答えただけだ。
「ミハエルが貰ってきたらしい。きっと世話はちゃんと自分でするだろうからな」
大丈夫だろうとヘスラーが言った。
ミハエルの無類の生き物好きは確かなので、まあ大丈夫なのだろう。
「…………」
じっと顔を寄せて眺めて見れば、ガラスの曲面に歪んで膨らんだ像が映り、小さなうろこの一枚いちまいが光を反射して輝いた。
極彩色の縞模様などがあるわけではないが、これはこれで確かに目を楽しませてくれそうだ。
魚がこちらを向いたので、試しにガラスを指でつついてみると、ぱくぱくと小さな口を開けて壁面につんつんとぶつかってくるのが面白い。
「アドルフ、何をしてるんだ?」
ひょいと身を屈めて顔を寄せてきた。
「こうして見ると、かわいいな」
「そうだな、かわいい………」
頷きを返して、それからヘスラーが何かを思い出したように、ふ、と笑った。
すぐ隣の気配に、僅かに横を向く。
「……なんだ?」
「いや、思い出した」
「何を」
「……ミハエルが、な」
そこまで言って、くく、と笑う。
どうにも面白がっている様子だから、もしかしたら聞いてもアドルフにとっては面白くない話かもしれないが。
しかし、ミハエルの名前が出てきて気にならないはずがない。
敬愛する我らがリーダーが、何だというのだろう。
「リーダーが、何だ?」
「さっそく名前をつけたんだそうだ、これに」
ヘスラーが指差した先では、愛らしい金魚が相変わらずぱくぱくと口を開けてガラスの壁面に頭をぶつけている。
指を下ろしたアドルフに代わって、今度はヘスラーの指先をエサか何かと勘違いしているのだろうか。
「名前?」
「ああ、」
「なんていうんだ?」
「普段は朱色だが、光が当たると金色にも見えるだろう?」
「ああ、確かに…」
その色彩については、先程自分もまったく同じように思ったところだ。
金魚の"金"というのがそのもの色を表しているのだろう。
「だから、」
また言葉を区切ってもったいつけたようなヘスラーに、アドルフは肩を竦める。
「焦らさないで、早く教えてくれ」
「……アドルフ、だそうだ」
一緒だろう、とヘスラーがアドルフの顔を覗き込む。
ひたりと人差し指がアドルフの瞳を差して、にこりと微笑んだ。
「………目の色か?」
そう言われれば似た色をしていると言えないこともないと思うのだが、自分と同じ名前でこの金魚が呼ばれているのかと思うと微妙に面映ゆい。
「目の色もそうだけどな。…これと一緒で、」
ヘスラーの指がすいと動いてアドルフの頬に添えられた。
至近距離でいたずらめいた色を閃かせて、ヘスラーが微笑む。
「かわいい、のも、同じだ」
「……か、………!?」
面食らったアドルフが軽く固まっていると、触れられたのとは逆の頬に温かい感触。
柔らかい音を立ててから離れていったヘスラーの顔を、半ば呆然として見ていると、やがて連れ立って歩く足音がした。
廊下に響く聞き慣れた二つの声は、よく知るチームメイトのものだ。
ヘスラーが体を離したのと同じタイミングで、二人の姿が廊下の角から現れる。
「何してるんですか、二人してそんなところで」
「いや、ちょっとな」
ヘスラーが何事もなかったかのような顔で答えると、エーリッヒは不思議そうにはしたが、特に気にした様子もない。
アドルフの内心の安堵を知る由もなく、腕に抱えた書類の束を抱えなおして、そういえば、と首を傾げた。
「さっき、ミハエルが"アドルフのエサ買ってこなきゃ"と必死で出かけていったんですけど、」
どういう意味だったんでしょうね、と事情を知らないらしいエーリッヒがアドルフに視線を向けた。
どういう意味かと言われてもだ。
溜め息をついたアドルフを見て、今度は隣のシュミットが不審そうな声を上げた。
「お前、餌付けされているのか?」
答える気力もなくしたアドルフに、ヘスラーが楽しげに笑う。
「大事にされてるじゃないか、"アドルフ"」
ツイッタお題より『金魚、集中、愛称』