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素晴らしき哉、人生!

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素晴らしき哉、人生!


 浅いまどろみから目覚めるのが何度目だったか、既に数えられない。エースはいつの間にか顔を覆っていた雑誌を取り除き、これ以上読み進めることは諦めてサイドテーブルに置いた。
 広いリビングのうちでひとつだけ窓を開けて、そこから控えめに風が入ってきている。揺れているレースカーテンは、装飾っぽさはあまり無いが風合がアメリカの古いドラマで見るようなレトロ調で、エースはそれを気に入っていた。今は開いている茶に小花の模様が入ったカーテンも、一見すると古めかしく埃っぽそうに見えるけれど、リビングの黒っぽい樫のテーブルや、東南アジアから買ってきたとか言うウォーターヒヤシンスのソファにはよく合っている。
 この家の主はあまりインテリアに興味が無いわりに、本能的にそういうものを選んでくるのだ。結果、ひとつひとつのまとまりは無いくせに、どういうわけかどれもぴったりとこの部屋の雰囲気に収まってしまう。そういうところが良いと、エースは思う。
 ただ、あまり整理整頓と掃除に関心が無いのは問題だ。
 
 エースも20代の独身男だし、他のほとんどの同年代の男たちがそうであるのと同じように、さほど潔癖というわけではない。アレルギーでも無いから、多少の埃っぽさも気にはならないし、床に転がっている衣服にも寛容なほうだ。
 けれど、昨日寝る前にこの部屋のことをふと思った。すると、途端に乱雑にテーブルの上へ重ねられた本、ソファに積み上げられた衣類、棚に横向きに積み上げられたレコードやCD、隅に積もった埃、捨てる機会を逃したこまごまとした雑貨……、それらがなんとも憎い存在に思えてきて、この部屋が哀れっぽく思えてきてしまったのだ。
 電気を消して布団を被ったまま枕元の携帯電話を手に取り、送信履歴から辿ってこの部屋の主に電話を掛け、「明日掃除しに行く」と、一言。
 そして今に至る。

 問題は物の多さと収納の下手さで、使われていない戸棚のスペースや、広い家の中で忘れ去られていた階段下の物置などを活用した結果仕事は思ったよりも早く終わり、それから二人がかりでシャンデリア、カーテンレール、出窓等々から埃を落として、掃除機で吸い、古いタオルを急遽縫って作った雑巾で拭いた。昼前にはすっかりリビングは明るくなり、今は風が気持ちよく部屋を駆け抜けている。
 部屋の片付けが苦手な者には、面倒くさくて放りっぱなし、結局溜まったものを片付けるためにかかる時間を惜しんで延ばし延ばしにした結果何も手につかなくなった、というのが多い。ここの家主のその典型的な例で、バツが悪そうに数ヶ月前の振込用紙などをシュレッダーにかけているのはなかなかおもしろい光景だったから、まあ、無駄ではなかった。
 それに、片付けができない代わりに彼は料理ができる。ついさっき、エースはごちそうになったばかりだ。
 家主のマルコは、エースと同じく独身男である。ただ、40代の独身だ。しかも、広い家と妙に雑多な家具からわかるとおり、小金持ちで趣味人である。こういう男の作る食事は、6,7割方、凝っていて美味い。それと、大抵、コーヒーを淹れるのもうまいものだ。
 今マルコはキッチンで、雑誌で見かけて買ったやたらと高いサイフォンでコーヒーを淹れている。もちろん、豆は専門店から買ってきたものだろう。あるいは、現地から直接買ってきたというのも、無い話ではない。

 少し前までのエースなら、こういう輩のことは決まって「鼻持ちならない奴」と一笑に付していたことだろう。または出会い頭に一発鼻頭に拳をくれてやったかもしれない。
 ただ、マルコはあいにく黙って一発殴られるような人間ではなく、しかも、彼と初めて会ったときのエースは既にそういう時期を脱していた。だからと言って、こういういかにも『BRUTUS』を買っていそうな男を無条件に崇拝したくなるほどエースは幼くもなかったし、素直でもなかったけれど。
 だからこそ、今こうして彼のソファでまどろんでいるのかもしれない。

 もうひとつ、マルコの家の美点と言えば、ケーブルテレビに加入している点だ。しかも、有料オプションの『スター・チャンネル』にも加入している。最高の娯楽、最高の暇つぶし、最高の無意識加速装置。レディオスターを殺した正体こそ、これだ。
 休日に午後、昼食を消化しながらアジア風のソファに座り、スター・チャンネルをBGMにまどろむことこそ――あるいは、現代の幸福のひとつなのかもしれなかった。少なくとも、エースの胸は今穏やかで、かつ、大きく伸びをしたい気分でもある。
 手を使わず、横着に足だけで靴下を脱いで、頭の後ろに手を組んだ。フウ、と息を全部吐いて、改めて吸い込み直すと肺に入ってきたのは秋の涼しく爽やかな空気である。
 スリッパの音とコーヒーのにおいがして、エースはソファの片側にずれた。この3人は座れるソファのほかに、マルコはもう一つ、アメリカンレトロ調の一人がけのソファを買いたいらしい。雑誌に載っていた、黄緑の麻布で、大きな肘掛けと黒い足が付いているやつ。結局、物置になりそうな気がするけれど。

「サンキュ」
「今日のは、ネパールのヒマラヤふもとあたりで作られてる豆だよい。無農薬無化学肥料、手作業で摘み取られ、酸味と苦味が少なく香りは芳醇……」
「ストップ」

 手の平と笑顔とでマルコの言葉を遮り、エースはマグカップから漂う湯気を吸い込んだ。
 テレビから流れてくる、『蛍の光』の合唱を聞きながら、エースはカップの端を、マルコのそれにコツンとぶつけた。

「人生と、カーテンと、ネパールに!」
作品名:素晴らしき哉、人生! 作家名:ちよ子