恋は盲目
「あんたは、綺麗だね」
「Ah?」
「あんたは綺麗だよ、独眼竜」
夕陽に溶け込んだ忍の言葉に、政宗は独眼を眇めた。
陽に背を向け、影になっている忍の表情は分からなかったが、じっとこちらを見入る二つの眼ははっきりと浮かび上がっていた。
武田の忍、もとい猿飛佐助は月に数度、政宗の元を訪れていた。
信玄や幸村の書状を携えていたり、任務のついでに寄ってみたり、血の匂いをさせていたりと、訪れた理由や状態は様々だった。
政宗は特に警戒をしなかった。
相手が忍である以上、暗殺される可能性もあるが、武田と同盟関係にある今は、そのような策を講じる必要はないだろう。それに、忍の直の主であるあの赤い青年は、自分以外の手で政宗が討たれるのを望まないだろう。
戦で垣間見た、幼子のような純粋な独占欲。それを思い出すと政宗は知らず笑みがこぼれる。あそこまで純度の高い感情を他人から向けられるのは久しぶりだ。
小十郎は忠義を。母親は憎悪を。幸村は独占欲を。種類は違えど、この三人の感情は同じ純度だ。
そして、いま目の前で政宗を綺麗だとのたまう忍の感情はどうだろう。
困惑と憎悪と愛情と殺意と、その他感情といわれる全てのものが交じり合った混沌が、眼の底に澱んでいる。
ここまで濁っている感情を向けられたのは初めてだ。
政宗の口はゆっくりと三日月を描いた。面白い。
そういえば、この眼をどこかで向けられた気がする。あれは、いつだったか。
「俺が綺麗ねぇ。醜い、の間違いだろ?」
潰れた右目も、痘痕だらけの身体も、中身ですら。己の醜さ加減は自身で分かっている。
「最初はそう思ったさ。やることは滅茶苦茶なくせに、腹のなかは読めない。時どき見せてくれても、ぐちゃぐちゃのどろどろで。これ以上、醜い生き物はないと思った」
忍は軽薄な口調で肩をすくめる。動作につられてその髪も揺れる。篝火みたいだと政宗は思った。
ああ、そうだ。この目を向けられたのは、同盟を結ぶ前にあった真田との戦のときだ。
忍のくせに真正面から立ちふさがって、大仰で滑稽に肩をすくめて、その目を細めて笑みを向けられた。
あの時は挑発的で好戦的で、諦めと嘲笑が浮かんでいたが、そのときよりもその濁りは格段に増しているように思える。
もしかしたら、あのときの諦めと嘲笑は忍自身に向けられていたのかもしれない。
よく知りもしない相手だというのになんて自惚れだと、政宗は心の中で笑った。
「Ha! ならどうして真逆なことを言いやがる」
「ずっと見てたらさ、なんだか綺麗だと思うようになった。荒っぽい言葉遣いも、それと裏腹の中身も。家臣に向ける信頼も、母親に向ける思慕も。自分で腹んなかがぐちゃぐちゃだって分かってて、全部を冷めてみてるとこも」
ゆらりと忍が動く。政宗の目前に立つ。二人の隙間は一寸にもみたない。
「あんたの全部を綺麗だと、俺は思うよ」
籠手がはめられた手が伸ばされる。鉤状になった指先が、頬に触れないぎりぎりの距離で撫でる仕草をした。
「口説き文句にしてはちっと陳腐じゃねぇか?」
「仕方ないだろ? 恋い慕うってのも初めてなんだから」
影は笑った。髪も揺れる。つられるように政宗も笑みを深めた。その顔をみて、影の眼が細まる。
「口説き落としたきゃ花でも持ってくるんだな」
「それで落とせるならいくらだって持ってくるよ」
楽しみにしてて、と言い残し、つむじ風になって忍は消えた。
言葉通りの置き土産か、一枝の楓が置かれていた。
その葉は、彼の髪の色そのままの陽色。濁っていると思うほどの、濃く深い夕陽色。
「恋ねぇ」
あんな澱んだ眼で恋い慕っているといわれるとは。
「ま、悪くはねぇな」
楓の枝を手にとって、政宗は独眼を閉じた。