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ヘッドホン

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意識が、浮上する。ゆっくりと、水面に上がっていくように。
 僕は閉じていた目を開けた。ぱちぱちと何回か瞬きをして、ここが僕の部屋ではなく、トンネルを走っている電車の中だとようやく思い出す。ああ、通りで。まるで揺りかごに入っているかのような心地良さが、体を包んでいる。もう一度目を閉じれば再び夢の世界に誘われそうなので、僕は首にかけていたヘッドホンを耳にかけた。
 僕の乗っている車両には、僕とサラリーマン、おばあさんが乗っているだけだ。
(始発の電車は、こんなにも閑散としてるんだなあ)
 池袋へと向かう有楽町線は、通勤ラッシュの時間帯なら立っているのもやっとのような状態なのに、今は電車の音ばかりが響く淋しい空間である。新聞のこすれる音もしない。
 その静けさを壊すように、僕はオーディオの音量を上げ、適当に指を動かして曲を選択した。流れた曲は入れてからほとんど聴いていなかった洋楽だった。
 僕がいれたものじゃない。正臣が「お前も男なら洋楽の一つくらい覚えておけ!」とよくわからない理屈を押し付けて、無理やり僕のリストに入れたのだ。すっかり忘れてしまっていたけれど。
 曲はゆっくりした曲調のバラード。随分前に公開された映画の曲だと正臣は言っていた。「これをカラオケで歌うと女の子は俺にメロメロなわけよ。ま、俺の素晴らしい歌声があってなせる技だけどな!」とよく回る口をペラペラと。懐かしくなって、僕はくすりと笑う。
 あの頃が随分遠くなってしまった気がした。
 どこで踏み外したかもわからない、遠い遠いところまで来ている。これから僕はまたどこに向かうんだろう。いや、そんなの決まっているのに、あえて自分に問いかけるところが、僕の卑怯なところだ。
 曲の意味を思い出す。別れた女性に今でも恋焦がれる男の曲だったはずだ。私は貴方に焦がれている。気が狂ってしまいそうだ、早く助けてくれないか、私の愛しい人――。
 曲が一番盛り上がるサビの部分に差し掛かれば、タイミングよくトンネルを抜けた。うっすらと日の光が雲の間から差し込んでいる。それでもまだ夜は明けない。
 そしてこれまた空気を読んで、携帯が震えた。画面を見つめる。表示されているのは『折原臨也』。メールだった。
 操作してメールを開けば、『今どこにいる?』と何の変哲もないものだった。僕は指を滑らせ、ボタンを押そうとしたが、携帯を持っている手ごと投げ出してしまう。
 タイミングが良すぎて、萎える。
 時々、彼はどこかで僕を見張ってるのではないかと思うくらい、タイムリーに連絡をよこす。電話だったりメールだったり、会いに来たり。僕はその度に言い訳めいたことを言うのだけれど、臨也さんはそんなことお構いなしで、僕を抱きしめるのだ。
 会って、話をして、セックスをして、眠る。
 恋人と世間では呼ぶような間柄だけれど、僕も臨也さんもどこか線を引いていて、その線を相手の手で消去させようと躍起になっている。焦れば焦るほどその線は濃くなっていって、次第に消えずに絶えず存在を主張し続けるのだが、残念ながら臨也さんも僕もその辺り学習しない人間のようだ。
 好き、とか、愛してる、とか。
 そんな言葉ならとっくに交換してる。
 じゃあ後は何を譲るべきなのだろう。
 そんなすこぶるどうでもいいことを自問自答していると、今度は着信がきた。同じ名前が浮かんでいる。僕は迷わず電話に出た。
「もしもし」
『メールしたんだけど、見たよね?』
「見てません」
『嘘はよくないよ帝人くん』
 斜め前に座るサラリーマンがちらりと僕を見たけれど、とくにとがめるようなことはしなかった。妙な居心地の悪さを感じながらも、僕は電話を切らない。
「今、電車の中なんですよ」
『随分遅いおかえりだねえ。何をしてたのかな?』
「さあ。何だと思います?」
『それはクイズ?本気で聞いてるのなら俺も本気で答えるけど』
 ということはもう臨也さんには筒抜けなのだろう。また青葉くんに小言を零される、と僕は少し憂鬱になった。
「ところで、何か用ですか?僕、疲れてるので臨也さんの相手をするほど余力残ってないんです」
『会おうよ』
「臨也さん」
『会って、話をして、セックスをして、眠りたい』
「…それって僕じゃなくてもよくないですか」
「またまたあ」
 思ってもないこと言わないでよ、と臨也さんは電話の向こうで笑う。その声に不覚にもぞくりとした。この人は僕の感情を引きずり出すのがよほど好きなようだ。
『ねえ、会いたい。会おうよ。まあ帝人くんは、なんだかんだ言って俺のお願いきいてくれるからきっと池袋から新宿に行き先を変更してくれるんでしょ?俺、待ってるよ。あ、そういえば何かいい香りする入浴剤もらったんだ。あんまり使わないけど、今日入れてみようか。一緒に入る時』
「何で一緒に入ることが前提なんですか」
『むしろ一緒に入らないことの方が少ないから』
 電車は揺れている。外してしまったので音楽は聴こえない。もう何もかもを置き去りにしてしまった。気がついてはいるけれど、どれから掴むべきなのか僕にはわからない。
 わからないうちに、臨也さんは僕の手をつかんで連れて行こうとする。
「…僕、今日あったかいご飯が食べたいです」
『いいよ。作ってあげる』
 ああ、きっと今の僕を笑って許してくれる人なんていないのだろう。
 そんな世界でも、臨也さんは僕に微笑み、甘くトゲだらけの睦言を囁き続ける。
 ヘッドホンは僕の傍ら、けれどもう今日は仕事をすることなく、ただ音を奏でて最後には息絶えてしまうのだ。
作品名:ヘッドホン 作家名:椎名