寄り添いたいから、さようなら
誰もいないこの場所はひっそりと静まりかえっていて、寒い。僕が両手をこすり合わせると、一緒にやってきたその人が僕の隣に立ち、「寒いね」と零した。知ってます、そんなことは言わなくても。
「座ろうか」
「勝手に座っていいものなんですか」
「いいんじゃない、誰もいないんだしさ」
僕が咎めたところで結局変わらなかったのだろう、臨也さんは遠慮もなく長椅子に座り、そして横を手で叩いた。僕に座れと言っているようだ。僕はそこには座らず、臨也さんの前列に腰を下ろす。
「可愛くない」
「ええ、僕は可愛くない人間ですから、どうぞお気になさらず」
「酷いなあ」
「貴方に言われたくありません」
月の光が、かすかにステンドグラスを照らしている。
それを綺麗だと思う。その光景に感嘆の息を漏らすくらいには。けれどそれ以上は何も思えることが出来ず、僕はとても居心地が悪かった。持て余した右手が、意味もなくマフラーの端を摘んで遊ぶ。
何故、臨也さんは僕をここに連れてきたのだろう。
別にデートという名目だったわけではない。突然やってきた臨也さんが「突然だけど、ちょっと出かけよう」とこれまた突然言ってきて、僕をアパートから連れ出したのである。僕はこれから寝るところだったのに。明日も学校だっていうのに、僕の都合なんていつでも臨也さんはおかまいなしだ。
しかし、タクシーで移動するのかと思っていたら、臨也さんの運転する車だったっていうのはものすごく意外だった。免許なんて持ってたんですか、と尋ねたら「一応ね、一応」なんて一抹の不安を抱かざるを得ない返答が返ってきたので肝を冷やしたが、彼の運転は可もなく不可もなく。と言っても僕は運転の良し悪しを判断できるほど、その道をわかっているわけではないんだけれど。
まあとにかく、臨也さんの運転する車で、一時間は走っただろうか。終始二人は無言で、カーステレオから流れる聴いたことのない洋楽だけが、その空間を埋めていた。淋しいな、と思った。運転する臨也さんの横顔を見ていたら、余計にそう思った。それでも僕は口を開かなかった。
怒っているわけでもない。けれど、喜んでいるわけでも、ない。
「ねえ、帝人くん」
誰もいないと、声はこんなに響くのだと、思い知る。
でもきっと木霊しているのは、ここではない。
「抱きしめても、いい?」
「そんな風に聞いてくるのは、卑怯だと思います」
「知ってる」
「そうですか」
「うん」
そうやって投げやりに返事をした臨也さんは、力強く僕を抱きしめた。まるで、何かに怯えているみたいに。いや、きっとそれは僕の願望だ。僕が臨也さんにそう思って欲しいだけ。
僕だけが、この人に傷をつけることが出来るのだと思いたいだけなんだ。
「ねえ、」
「何ですか。質問するのが好きですね、臨也さんは」
「後悔してるって言ったら、帝人くんはどうする?」
「それは僕が何か言って、変わることですか?」
「変わらないねえ、多分」
「じゃあ聞かないでください」
臨也さん。
臨也さんはもし、僕が貴方と一緒なら逃げてもいいと言ったら、僕を笑いますか。
僕が貴方の手を握り返したら、僕を信じてくれますか。
そんな疑問が浮かんでは消える。
口にしたって意味などない。だって本当に空っぽなのだから。どうせ、そんなのはすべて戯言で、現実は容赦ないし、逆らえない。
だから僕は僕でしかなく、臨也さんは臨也さんでしかない。
どんな可能性を並べたところで、結局僕らはこうやってどこかズレたままなんだ。
それでも。
「寒いですね」
「うん、寒いねえ」
「あったかいもの、飲みたいです」
「後でコーンスープ飲もうよ、コンビニ寄ってさ」
「はい」
それでも、僕たちは手を繋ぎ、キスをし、愛を零すのだ。
だって、ここには誰もいないから。
今この瞬間だけは、世界に二人ぼっちだから、簡単に寄り添える。
作品名:寄り添いたいから、さようなら 作家名:椎名