合鍵
ちゃりん。
安い金属音を立てて、それを目前にぶら下げられ。眉根を寄せて首を傾げ、その小金属とその向こうにある顔を前後に見比べた。
「ほら」
こちらの反応が気に入らないのか、少々ムッとした表情になりつつ小金属をさらに突き出して言う。
「なんだコレは」
正直な感想を告げれば、
「何って、鍵以外の何に見えるんだ?」
ついにボケたか?とか付け加えつつ可哀想なモノを見る目でこちらを見てくるものだから。
「………シメるぞ。このガキ」
両手の拳を固く結んで両のこめかみを万力の如く挟んでやった。
「痛いたいたいたい! お前のゲンコツは痛いんだよ!」
半泣きで叫ぶのを見て満足して解放してやる。頭を抱えて恨めしげにこちらに訴えるが、そんなことは知った事ではない。
「では問おう。何の説明も無く私にこの鍵を示す意味を簡潔に述べるがいい、衛宮士郎」
今考えつく限りの疑問を余すことなく口に出す。大体、いくら同一存在とはいえ何もかもがツーカーで通じると思われては困るのだ。
「むうー。そんぐらい言わなくてもわかると思ったんだよー」
予想通りに通じると思い込んでいた言葉が出てくる。その自惚れは確かに悪い気分はしないのだが。
「私にわかることはと言えば、衛宮邸の正面玄関の鍵に酷似しているということぐらいだな」
記憶にある鍵の形状を思い浮かべ、見せられた鍵と脳内で重ね合わせる。ほぼ同一といっていいだろう。
「そうそう、ウチの鍵。合鍵だよ」
再び目前に先程の小金属───鍵についたリングを指でつまんで吊るす。
「合鍵?」
「お前のだよ。まだ持ってなかったろ?」
「持っていないのは確かだが」
私の答を聞くとこくこくと頷き、何故か偉そうに胸を張る。意味がまったくわからない。
「だろー。だからさ、ほら」
ちゃり、と鍵を掌に置かれる。手に取ってみれば確かにそれは衛宮邸の鍵に間違いは無い。
「要らん」
「何でだよ!」
即答して鍵を突き返せば負けじと即反応してきた。
「阿呆か。我々の特性を忘れたのか?
そんなものは投影すればすむ話だ」
「───あ」
投影、という単語を聞いて、フライング気味に文句を言おうと開けた口がそのままの形で固まる。漸くその考えに至ったらしい。
「お前、私が今までどうやって出入りしていたと思っていたのだ? 無人の家を鍵無しで空けるほど私は無用心ではないぞ」
衛宮邸に居候を初めて大分経つ。その間、何度と無く買い物に出ているという現実に何故思い至らないのか、その方が余程不思議だ。
「そ、そうだった………」
鍵を握り締めてがっくりと肩を落とす。そこまで落ち込むことでもないとは思うが。
「出来から察するに、スーパーに隣接している靴修理屋のものだな。ある意味新品同然であるから元の鍵より精巧に仕上がっている。これをマスターキーとして保管しておけばよかろう」
「むー。じゃあこっちお前にやるよ」
何処から取り出したのか、今度は古めの鍵を突き出された。多分これを持って合鍵を作りに出たのだろう。
「ん? これは元の鍵………だから要らんと何度言えば」
突き出す鍵を制止しようと掌をかざして告げると、
「うう、うるせー! いいから持ってろ!」
がっ と、キレ気味に怒鳴りながらその手に向かって鍵を叩き込まれた。
「ぐお! 貴様、鍵を縦にして掌に押し付けるんじゃない、刺さる!」
外部損傷はなんとか免れたが、受け取らざるを得ない形になってしまった。
「いくら投影出来るからって、実際持ってなきゃ一般人に怪しまれるだろ! だから、持ってろ」
ならば最初からそう言えばいいことだろう、と内心思いつつ。素直に受け取らない自分の大人げなさにも反省はした。
「そんな事を明らかにする機会があるとは思えないが………わかった。これは預かっておく」
手にした鍵を納めると、ちょっとだけ表情が綻ぶが、しかしこちらの言葉尻を耳にするとまた不機嫌な面持ちになった。
「預けるとかそんなんじゃなくて、それはお前のだよ」
譲歩して受け取ることを承諾したというのに、まだ不満そうに睨んで言う。
「………? 何をそんなに拘る必要がある?」
「別に。藤ねえや桜にだって渡してるんだ、お前に渡しておこうと思っても変じゃないだろ」
行為が変なのではなく、お前の態度が変なのだが、それも言うのはやめておこう。
「そういうものか?」
「そういうものだよ」
意味不明な押し問答は、とりあえず終結した。
「───まだ帰ってはいないか」
鍵の閉まった引き戸を前に、一人呟く。
「トレース・オン」
半ば習慣化した、一時的な複製。維持の必要もなく、正しい成形と一定の強度さえあれば事足りるものであるから、然程魔力も消費しない。それは瞬時に手の中に現れた。完成したものに何気なく目を落とす。元々あった保管用の元鍵と寸分の狂いも無く投影された鍵。
「───」
(そう言えば、無理矢理持たされたのだったな)
スラックスのポケットにしまったままの合鍵の存在を思い出す。右手には既に複製された鍵。左手には買い物袋。理屈で考えれば、このまま開けるのが当然の帰結である。が───
「ふむ………」
僅かな思案の後。右手に現れた贋作を握り潰した。元から存在するはずの無いものであるからカケラも残さずそれは消滅する。
「我ながら、律儀なことだ」
荷物を下に降ろし、ポケットに手を差し入れる。先程投影したものと寸分違わぬものの形を捉え、引き出す。
やや磨耗し丸みを帯びた古い鍵。先程の複製を消さずに見比べてみるべきだったろうかと悪戯に思う。が、それもまた意味のないこと。便利な贋物を使わずに手間をかけて本物を使おうと考えるのと同じ程度に。
鍵を鍵穴に刺し、回す。僅かな抵抗の後に開錠。役目を終えた鍵を再びポケットにしまおうとした時、背後に馴染みの気配が現れた。
「ちゃんと使ってんだ、鍵」
嬉しそうな声。どうやら複製を作った所は見つからなかったらしい。
「まあな。ある物は使わねば意味が無い」
ポケットに鍵を差し込みながら振り返れば学生服姿の衛宮士郎がそこに居る。何がそんなに嬉しいのか、うんうんと頷きながら満足気に笑っている。何やらこそばゆい気もするが、この少年の反応は嫌いではない。この程度の気遣いでそれが引き出せるのならば、安い努力だ。
私とて。如何な朴念仁とは言え、合鍵の意味がわからないわけではない。
しかし、そこに至らないのは。衛宮士郎がそのような趣向を持つとは考えられなかったからである。そして、それに添おうと思い至る己自身にすらも。
下に置いていた買い物袋を取り、私より先に鍵の開いた戸を開けて玄関をくぐると、
「おかえり、アーチャー」
振り仰いで告げるのは迎えの言葉。同時に帰宅していて言う言葉でもなかろうが。しかし───
「───ああ、ただいま」
それに付き合ってしまう自分も大概に毒されているのだ。
End.