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他に人が居ない場所であれば、所構わずといった感じがある。それが家の中でも、外でも、何処でも。時間も至って自由で、挨拶と呼べる域を若干超えている。

で、今もこうしてされている。廊下の途中で何の意味もなく。

「………ん」
唐突に背後から呼び止められたかと思うや否や、肩を抱きこまれて接吻けられた。いつものこととは言え、その脈絡の無さにちょっと辟易したりもする。けど拒むほどのものでもないので受け入れる。
「ん、ちゅ……はぁ」
時間にして一分程度。咥内を舌でまさぐって唾液を吸い上げられ。こく、と喉を鳴らす音を聞くと満足したのかやっと解放してくれた。少し酸欠気味になってよろめく足元を支えるようにしてアーチャーの腕がオレの腰を抱く。
「なー。オマエってさ、キスすんの好きだよな」
元々どっちの方向に歩いていたかの記憶も飛んでしまったので、仕方なく促されるままに居間に向かいながら思いついたことを口にする。
「そうか?」
あまり気に止めている風でもない口調で返す。
「そうだろ。何かっていうとしてくるし」
「手軽だからな、セックスと違って」
あまりといえばあまりに端的な単語を告げられてぼんっと音が出そうなほどの勢いで顔に血が上る。オレが相手だからなのか、この男の言葉はどこまでも遠慮が無いというか。それにしたって、白昼堂々口にする単語か!
「───っ 少しは表現を選べよっ!」
「聞かれた事に対し素直に答えたものを、文句を言われる筋合いはない」
まったく悪びれずに言う男は、むしろ何をその程度でと言わんばかりの見下した顔でオレを見ている。
「てことは何だよ。これって、その……アレの代わりなのか」
もごもごと口ごもりつつ、気づけば廊下の往来で立ち止まってそんな会話をしていた。
「ふむ。代わりと言うには微々たるものだな」
「そりゃそうだろ。回路なんか繋がないし、唾液はあるけど………そんなんで足しになるんだったらあんな苦労する必要ないし」
そこまで自分で言っておきながら、連想する記憶を甦らせてしまって顔を覆う熱がさらに上がってしまう。
「苦労? ではオマエは嫌々つきあっているというのか?」
自爆しつつあるオレを尻目に、一つの語句が気に入らなかったらしく腰に添えた手を外して腕組みをして問うてくる。眉間を顰めるその表情は馴染みのもので、あまり気にも止めなかった。
「う─── そ、そりゃ……あんなの、しないに越したことはないだろ。オレもオマエも男なんだし。仕方ないから……」
ぐんぐんと熱くなってくる頬を抑えて呟く。
「そうか、それは残念だな。あれだけ乱れるものだから、てっきり悪くないものと誤解していた。次からはもう少し淡白にしてやろう」
「む」
違う、と思う心を言葉に出来ずに飲み込んでしまう。こんなのはただの他愛の無い売り言葉に買い言葉みたいなもんだけど───
「そうだな、少しは共有の魔術でも凛に習ってみてはどうだ? タダとはいかないだろうが、現状よりはマシになるだろう」
具体的な提案にまで至ると、流石に腹に据えかねる。意見としては至極まともたけど、今それを言うという所に意図的なものを感じるというか明らかに当てつけじみていて癪に障る。
「オマエ、ほんっとに底意地が悪いって言うか………」
「何、効果的な反撃を行ったまでだ」
しれっとした口調で言い、にやりと口角を上げる。反撃、と言う言葉に神経を逆撫でされたような気分になった。やっぱりコイツはオレの内心を読んだ上でからかっていたのだと思うと、無性に腹が立った。
「………最低だ」
吐き捨てるように呟き。先ほどとは種類の違う熱さが目頭に募るのを抑えたくて、唇を噛む。
「士郎」
オレの変化に気づいたのか、不真面目な姿勢を消して再度腕を伸ばしてくる。
「触んなよっ」
ぶん、と腕を振ると僅かに手の先が掠る。弾いた指の先が少し痛んで、けどそれより噛み締める唇のほうが痛くて、切なくなる。
「そこまで拗ねることか?」
傍らで、軽い溜息をついて呆れたような口調で言われてますます自己嫌悪が募る。向けた背を返せないままに、オレは何処へともなく歩を進める。
「───嫌だったら最初からオマエなんか」
聞かせたいのか聞かせたくないのかわからない、小さな呟きが漏れる。本当は、もっとはっきり伝えなくちゃいけないことなのに。オレはアーチャーみたいに大人じゃないから、言葉もうまくないし。何かっていうと照れちまって違うこと言ったりして、こうしてすれ違う。もどかしさにイラつくのはオレだけじゃないって、こんなのは愚にもつかない甘えなんだって………わかってるけど。
「まったく、手を焼かすな」
言うが早いか、本気で伸びてくる腕が逃げる隙も与えずにオレの体を抱きこんできた。顔を合わせる暇もなく、あっという間に唇を塞がれる。合意なしのキスはあまりなかったから、その強引さに驚いて背中が怯えてしまう。けど、合わせられた唇はいつも通りに丹念で執拗で丁寧な動きでオレを翻弄した。先ほどより長く犯されて舌の根が痺れて頭がくらくらしてくる。
「ふぅあ」
ぢゅる、と唾液の啜る音も鮮明に唇が離れると舌先から唇へと細く糸を引いて切れた。
「この程度では、魔力などかけらも摂取出来んな」
至近距離で言い、唇を濡らす雫をぺろりと舐めてくる。その仕草がどこか扇情的で、鼓動が跳ねた。背を抱く腕が緩み、拘束がゆっくりと解かれ。かかとが降りて距離が開くのをどこか心細く思いながら、アーチャーの言葉を待った。
「だが、こうすると。一瞬でもひとつになれる気がする───それだけのことだ」
───そんなこと、知ってた。なのに、それが恥ずかしくて、言葉を反らしたのは、オレ。それを言って欲しかったくせに、焦らして、それでもこうして追ってくるのを待って。
「あのさ。ほんとは………オレも、キスするの……好きなんだ」
切れ切れに言葉を繋いで、やっと言い終えると。オレは少し背伸びをして、アーチャーにキスをする。身長差があるせいで、オレからするのはそんなに時間が持たないからちょこっと唇が触れるだけで終わってしまうのが、余計に照れてしまう。
「───」
照れ紛れに閉じた目を恐る恐る開けると、褐色の肌色をやや赤くして面食らったような表情がそこにあった。いつも余裕ぶっているけれど、不意打ちに弱いのはオレと大差ないのがわかって嬉しくなる。
「………って、言いたかっただけなのにさ。オマエ、余計なことばっかり言うから。言うの遅くなっちまったじゃねーか」
照れ隠しに、また罪を擦り付けてしまう。でも許してくれるよな。今度はちゃんと本当の事言ってるんだから。
「そうか───それは、悪かった」
謝罪の言葉とは裏腹に、くくっと喉の奥で笑いながら、楽しげに表情を崩す。あまり笑顔というものを見せない男のそれが、オレには宝物みたいに大事だった。
「アーチャー。あの、その───」
言い終えるより先に、ぐぃと顎を持ち上げる手の親指で下の唇を押されて制される。何も言うなと語る眼差しに、再び縮められていく距離に、喉の奥で詰まる息が期待に熱く溶ける。脇のシャツを掴むだけだった手をそのまま背中に回して、それを待ち受けるために瞼を伏せた。


些細な言葉は傷を増やすだけだから。
言葉より確かで優しいキスを、もっと。
作品名:× 作家名:光杜匠生