おやすみ。
自分の触れるものすべてが腐っていく。
「君なんて嫌いだよ」と繰り返される言葉に胸が詰まる。
暴れる身体を支配しているのは怒りではなく切なさ。
自分の触れるものすべてが壊れていく。
そして世界に誰も居なくなった。
「静雄、しーずお」
優しい声がする。好きな人の声だ。
頬をペチペチと叩かれる感触に目を覚ますとボンヤリと視界が広がる。
ぐっしょりと汗のにじんだ額と、涙で濡れた頬。
時刻は午前4時。
部屋の間接照明に照らされて、真上に恋人の心配そうな顔とその身体越しの薄暗い天井が見える。
今さっき自分の見ていた景色が夢だと気づく。しかしホッとするより先に、急に不安が押し寄せて思わず顔が歪む。涙が伝いそうになって目線を逸らすと、身体を引き寄せられた。
「大丈夫か?めちゃくちゃうなされてたぞ?」
「すみません…」
恐る恐る背中に手を回す。触れるのが怖い。壊しそうで怖い。でもそれよりも離したくない気持ちが大きい。自分はこの人に出会って一体どのくらい我が儘になったのだろう。最近、そんな気持ちに戸惑ってばかりいる。
しかしトムはいつだって優しくあやすように諭す。
「何で謝るかなぁ、トムさんはお前に頼ってほしーんだけど。今だって、一瞬お前から抱きついてきてくれるかなって期待したんだけどなァー」
低い声が心地いい。
温かな胸に顔を埋めると大きな手で頭を撫でられた。
甘やかされ、こんなにそばにいるのに何だか切なくなる。
「夢、見ました」
「どんな?」
「みんなが…離れていくんです…俺がこんなだから…」
「そかー……でも夢だろ。トムさんはここにいるべ」
「でも…トムさんにもいつか愛想尽かされるんじゃないかって…怖いんです…」
「わからずやだなァ…じゃあ怖くならないようにもっとくっつくべ」
あっけらかんとした口調で不安の理由を否定して、抱きしめる腕を強めてくる。
「…静雄」
「ハイ」
顔を上げるとキスできそうなほど近い距離。思わず赤面する静雄の頬に、ゆっくりと手が伸ばされる。
「ありがとな」
「…え?」
予想もしていなかった言葉にキョトンとする。
「俺が居なくなったら寂しいって思ってくれたわけだ」
「っ、当たり前です…」
「寂しいって思うのは、それだけその人のこと好きってことだべ?」
「……」
「俺も、好きだよ」
「トムさ…」
「だから静雄居なくなったらすっげーーー寂しい」
「俺だって死ぬほど寂しいっス…」
「もォトムさん禿げちまうかもなァー」
「俺だって禿げるくらい…!」
こんな馬鹿な問答なのに、胸が苦しくなって途中で声が震えた。思わず言葉を止めると視線がぶつかった。
「なぁ」
「……ハイ」
「俺じゃお前のこと守れないかなァ? 喧嘩はしないけどな。お前が不安にならないようにずっと一緒に居ることくらい簡単に約束できちゃうんですケド、どうよ」
イシシというその笑顔に、ボロボロ涙が溢れてくる。
「オカシイですよ…ソレ…俺みたいな怪物…守るとか…」
「オカシなもんか、好きな子守りてぇのは男はみんな一緒なーの」
指で目尻の涙をぬぐってくれる愛しい人。
「…俺、守るなんて言われたのはじめて…です」
腕の中で呟くと、
「ちとカッコつけすぎたかな」
なんて言いながら照れ隠しに髪をぐしゃぐしゃに掻き回された。
この人の言葉は魔法みたいで。
それから、掌は太陽みたいだ。
いつも、どんな不安も気付けば溶けてなくなっている。
隙間なく抱きしめて揺られていると、今度は幸せな夢を見れそうな気がしてきた。
「オヤスミ」
優しい声が聞こえた。
もう夜明けが近い。
end...*