君の香り
NPCの生徒が掃除中にふざけていてバケツの水を窓の外にぶちまけたらしい。
運悪く、その下を歩いていた俺に命中した。
「日向、風邪ひく…いや、まぁひいても治るだろうけど、冷たそうだし、風呂入って着替えたほうがいいんじゃないか?」
隣を歩いていた音無には全くかからず、俺だけにかかるなんて…。
俺はそんなに日頃の行いが悪いだろうか?
自分の不幸に嘆きつつも、被害にあったのが音無じゃなくて俺で良かったと思う。
俺はゆりっぺの暴動でこのくらい慣れてるからな。どうってことない。
屋上から突き落とされるよりよっぽどマシだ。
でも音無の言うとおり、風邪はひかなくても濡れた服を着ているのは気持ち悪い。
俺たちは目的地を寮に変更して歩き出した。
「あ、やべ…」
部屋に戻って気がついた。
ワイシャツの替えがない。
「どうした日向」
俺の部屋まで付いてきた音無が不思議そうにこっちを見る。
「いやさぁ…シャツ全部洗濯カゴに丸めて突っ込んだままでさ…」
死ぬことがないこの世界でも汚れはたまるらしい。
掃除をしても教室や廊下の隅にたまる埃がたまっているし、シャツや下着も汚れる。
「ジャージってわけにもいかねぇし、このままでいいわ」
どうせそのうち乾くしなと自己完結する。
「ぷっ…日向らしいな」
途方に暮れている俺を見て笑うとは、音無もいい性格してるよな。
「無駄足させて悪かったな」
まだ笑っている音無の背中を押して部屋から出た。
作戦本部へ戻ろうとすると音無が自分も部屋に寄りたいと言い出した。
反対する理由もないので音無に付いていく。
「音無は一人部屋でいいよなー」
「そうか?俺は二人部屋の方が賑やかそうで羨ましいけどな」
確かにそうかもしれない。
自分の時間はとれるが、寂しくなることもきっとある。
もし俺が一人部屋だったら大山と出会うこともなく、もしかしたらSSSもなかったかもしれないしな。
SSSの馴れ初めを思い出していたら突然目の前が真っ白になった。
目眩とかではなく、物理的に視界が白いもので遮られた。
そして鼻をかすめるこの香りは――
「何ぼーっとしてんだよ。それ貸してやるから」
目の前の白いものを指でつまんで離してみると、ワイシャツだった。
「洗いたてじゃなくて悪いんだが、日向のくしゃくしゃのやつよりはマシだと思うからさ…」
ってことは音無が着てたやつってことか?
どうりで――
「サンキュ、音無。明日洗って返すな!」
俺はありがたく音無のワイシャツを借りることにした。
その日作戦本部へ行ったものの、特にオペレーションもなく、
皆で今後の予定確認やなんやの話をして1日が終わった。
「あれ?日向くんもう寝てるの?」
皆より早く部屋に戻った俺は、大山が戻る頃には夢と現実の狭間をさまよっていた。
この死後の世界を現実と言っていいのかわからないけれど、今ここに存在する俺にはこの世界が現実だ。
こんなに早く眠るつもりはなかったのに、心地のよい香りによって俺は夢へといざなわれていた。
「制服着たまま寝ちゃってるし…。今日はオペレーションもなかったしそんなに疲れてないと思うのになぁ…」
大山がぶつぶつ言いながら部屋を出て行く。
これからお風呂にでも行くんだろう。
一人になった部屋でうとうとしながら、このワイシャツの持ち主のことを想う。
まるでアイツがそばにいるような感覚。
体温がないことに少し寂しさを感じるのは、この幸せを手に入れて少し欲張りになっているからだと思う。
うつらうつら
あ、脱いだ方のシャツ、音無の部屋に置いてきちまったな…明日…とりに…
その晩夢に出てきた音無は、始終この香りのように心地良くて優しくて、俺を安心させてくれる笑顔をくれた。