朝の風景
(……そうだ。オレは海賊になったんだ)
昨夜のどんちゃん騒ぎを改めて思い出す。共に歌い、騒いだ仲間達はまだ夢の中で各々幸せそうにいびきをかき、寝言を言い、微動だにしなかった。
まだ冷気を帯びる風を感じながらぐんぐんと燃え上がる東の空を見つめていると、急に頭が割れるような大音響を放った。驚きながらも医者の思考で冷静に判断する。アセトアルデヒドが分解しきれなくて肝臓内のアルコール濃度が上がった状態……二日酔いだ。考えたら、ドクトリーヌの所では酒などあまり呑まなかった。短時間であんな、浴びる程の酒を呑んだのは初めてだ。
チョッパーはうずく頭を押さえて立ち上がると医療キットの入った自分のバッグを取りに船室へと向かう。壁に手をついて歩いていると、丁度食堂に入ろうとしていたサンジと視線が合った。条件反射的に体がビクッと動きを止める。この料理人は、隙あらば自分を『食料』にしようと狙っている。踵を返し、ダッシュで立ち去ろうとするが、思い出したように頭が騒音を響かせ、思わずその場にヘタり込む。ヤバい、と思った時にはすでに傍らに料理人の黒い革靴が見えていた。
「ぎゃああぁぁっっ! いででででっ!!」
咥え煙草で覗き込むサンジに恐れおののき、しかしすぐにガンガンする頭を押さえてうずくまる。サンジは「何だこいつは」という顔でチョッパーを見下ろし、それからハハンとほくそ笑むと片腕で彼を担ぎ上げて食堂へと戻った。
食堂で椅子に座らされたチョッパーは、頭痛と胃のムカつきのために逃げることもできず、ただ恐怖に耐えていた。サンジは背中を向けて調理台でしきりに動いている。包丁を手にするのが目に映りギョッとするが、その包丁はチョッパーには向けられず、何やらを刻み始めた。泡立て器でボールの中のものを泡立てる音がシャカシャカと響く。グラスを取り出し、それを注ぐとチョッパーの目の前にそれは置かれた。乳白色の液体に細かな白と緑の物体が見え隠れする。
「飲めよ。薬よりは効くぜ」
サンジはニッと笑い、グラスとサンジを交互に見つめるチョッパーに言った。
チョッパーは恐る恐る口を付け、コクンと一口。口の中にヨーグルトの酸味と少しの塩味、それからピリリと舌先が辛みを感じた。ヨーグルトの味はヤギの乳に似て、ドラムの故郷を思い出させる。そんなことを思っていたらサンジが、
「ドラムで良いヨーグルトと水が手に入ったからよ。
『アイラン』って飲み物だ。二日酔いには効くぜぇ」
そう言って笑いながら煙を吐き出す。「臭いし辛い」と呟くと、ニンニクと青唐辛子が入ってるからな、と答えが返ってきた。残りを一気に飲み干すと、スッと痛みが引くようだった。
「ありがとう」
素直にチョッパーが言うと、満足そうな顔を向けて微笑み、グラスを片付けた。
「朝食まで間がある。まだ寝てろよ」
サンジは背中を向けたまま言う。そういえば目が合った時、何かを手にしていた。今日の食事の下ごしらえ中だったのか。すっかり冴えた頭は眠気までとんでいた。チョッパーは椅子から立ち上がり、トテトテとサンジに近寄った。
「オレ! な、何か手伝えないか!?」
ドキドキしながら言うと、サンジがジャガイモを手にしたままビックリしたようにチョッパーを見つめる。それからニヤリと笑うと、言った。
「……ほう、ジビエになる決心がついたか」
チョッパーがバンとテーブルの足まで下がる。『ジビエ』が何かはわからないが、この男が自分を見て不敵な笑みを浮かべるということは、ロクでもないことを考えているに違いない。テーブルの足にしがみついてガタガタ震えるチョッパーを見て、サンジは笑った。
「バーカ。冗談だ、冗談。暇ならそこ座ってジッとしてな」
ジャガイモの皮を剥きながら、煙草を咥えた顎先で椅子を指す。
「……オレじゃ、役に立たないか?」
脅えながらも、情けない表情で近付いてチョッパーが言うと、サンジは眉をひそめた。
「バカ。料理にゃ『流れ』ってもんがあんだよ。
お前が治療している時にド素人に手ぇ出されたら嫌だろ? それと一緒だ」
真面目な顔つきに何となく反論できず、チョッパーはおとなしく椅子に腰掛ける。
ジャガイモを水に晒す。あらかじめ沸かしていたお湯にほぐしたトウモロコシをボロボロと落とし、火を通す。その間に巨大な魚をグリルに入れ、ゴミを捨て、汚れた包丁やまな板を洗い、食器の用意をする。グリルを少し覗いてから、弱火でコトコトと煮詰めているスープの味を見る。冷蔵庫から卵を出し、ボールに割り入れ、空気が入らないように器用にかき混ぜる。ザッとトウモロコシをお湯から上げる。
「悪ぃ、チョッパー。寝てる野郎共を起こしてきてくれ」
チョッパーがその手つきに見とれているとふいに、流れるような手さばきを休めることなくサンジが話しかけた。
「う、うん。呼んでくる」
慌てて椅子から下りて食堂を後にする。入れ違いに、丁度起きてきたらしいナミとビビが食堂に入り、サンジと軽口を交わすのが聞こえた。
空は晴れてはいなかったけれど、すっかり明るかった。薄曇りの中、かすかな朝の日差しが甲板を照らし出す。甲板では昨夜の喧燥の余韻を引きずりながら、3人と1匹が心地良さそうに眠っている。ああ、そうか。オレはもう、仲間なんだ、という思いが改めて湧き上がる。長い時を共にし、怒ったり呆れたりしながらも世話してくれた人は今、1人で朝の時間を過ごしているのだろうか。そんな感傷もよぎるが、涙をこぼしたらあの包丁がとんできそうで、慌てて振り払う。これからは、新しい、たくさんの仲間と数え切れないくらいの朝を共にするのだ。
そろそろ食堂ではとびきりの朝御飯が湯気をたてて待っている。自分勝手でワガママな料理人と航海士がキレるのを王女がなだめなくてはいけなくなる前に、まだ楽しい夢の中にいる仲間を起こしに行こう。チョッパーは甲板に続く階段を降りると、新たな仲間に声をかけた。