薔薇と貴方と私と
そう言いながら肌蹴られたアーサーの左胸に、視線は一瞬にして釘付けになった。常人の反応であろう。そこは、心臓の位置を中心に、植物が根を張っていた。その植物は花の蕾を一つ付けていた。生身の人間の胸に植物が生えているという、傍から見れば異様すぎる光景である。だが菊は、それをただ美しいものと認識し、魅入っていた。
「驚いただろう?」
「…いえ、……あの、触れても大丈夫ですか?」
「ああ、…でもあんまり触るとコイツが起きちまうかもしんねえから、気を付けてな」
「はい……薔薇、ですか?」
アーサーがこくりと頷く。菊は手を伸ばしその蕾そっと撫でる。花の蕾は本当にすやすやと眠っているように見えた。――やはり、美しい。
「…咲いたら、きっととても綺麗なのでしょうね。」
「そう思うか?」
「貴方に咲く花ですから」
「……ああ、咲いた所を見せてやりたいけど、人前で服を脱いだことがバレたらこいつ怒るかもしれないから、どうだろうな」
すごく綺麗な、青い薔薇なんだぜ――と胸の花について語るアーサーは、くすぐったそうでもあったが、柔らかな表情を浮かべていた。菊はその蕾をもうひと撫でして、そっと手を離した。
「そうですね、見られる機会があることを祈っています」
菊は内心、薔薇の蕾を握りつぶしてやりたい衝動に駆られていた。寸での所で手を引き、心情が表に出ないよう微笑みで精一杯押さえ込んだ。アーサーは、微笑みを浮かべる菊を、ただ美しいと思っていた。彼の感じた美しさは、醜さを紙一重に携えていた。
自分の身体を蝕む植物のことについて優しく語るアーサーは、薔薇のことを本気で愛しているように思えた。花"なんか"に負けたと思うと、本当に、
「ほんとうに、嫉妬、しちゃいますね」
菊の身体がぐいとアーサーを押した。仰向けの状態でシーツに転がした彼に跨がり、真っ直ぐ見下ろす。その一連の流れるような動きに、アーサーは抗う判断が追い付かなかったのか、端から抗おうとしなかったのか。為すがままに押し倒され彼を見上げているだけであった。
「アーサーさん、私、貴方のことが好きです」
告白を受けた瞬間に、どくん、とアーサーの心臓が跳ね始めた。早鐘のように、どくん、どくん、と、息苦しくなるくらい心臓が音を立て始めた。やめろ、おさまれ、音でこいつが、起きてしまう、殺される……
じわりじわりと菊の顔が近付いてくる。過去の経験から、身の危険は感じていた筈であったがアーサーはその場を動かず、息を呑んで彼を見つめることしかしなかった。
「どうして、私を押し退けないのです」
アーサーの顔の両脇に肘をつき至近距離まで顔を近付けた菊は、切なげな表情を浮かべながらも彼を緩く睨み付けて言った。自分をじっと見つめるだけの、アーサーの思考が読み取れなくて酷くもどかしかった。
「……こいつが、寝ているから」
やっと何かを言ったと思えば、たっぷりと間を取った後の返答にしては間抜けすぎる、と互いに思っただろう。寝ているから、何だというのか――問おうと口を開こうとしたその瞬間に、アーサーの腕が動いた。薔薇は眠っている。寝ているから、今なら気付かれないから――、と、手を、伸ばした。伸ばして触れた、菊の身体は暖かかった。
「……アーサーさん、…」
「菊、すき、だ……」
覆い被さった菊の身体をぎゅうと抱き締めながら、アーサーは息を吐くように溢した。想いの切なさと、どくん、どくんとさらに煩くなった心拍音のせいで、言葉を発するのが苦しく、誤魔化すように彼をさらに抱き締めた。
「………二番目に、ですか」
「………」
アーサーは黙って頷く。
また数秒の沈黙を過ごした後、菊は身動ぎをする。アーサーは彼の意を汲み腕の力を弛めてやった。菊は身体をゆっくりと起こし、2人は再び顔を見合わせる体勢になった。
「…その花ごと、貴方を愛せばいいですよね」
「、菊……」
「彼女も貴方の一部なのならば、……愛します」
そう告げて、菊は薔薇の蕾に口付けた。アーサーは自分の胸に踞る後頭部を撫でて起き上がるよう促した。素直に身体を起こした菊をそのまま引き寄せ、唇を合わせ、またゆっくりと抱き合う。
どくん、どくん、という心臓の音がいつの間にか鳴り止んでいたことにはアーサーは気付かなかった。