平行世界
思考がそれきり停止した。どこだここは。
全く見覚えのない景色、色合い。セピア色に色づいたその世界はあまりに現実とかけ離れていて自分の足元が崩れていく感覚があった。足元?
いや自分の中にある常識という足場が、だ。
きっとこれは夢に違いない。こんな馬鹿げた世界が現実であるはずがない。俺は思いっきり頬をつねってみた。ぎゅっと爪が頬にめり込んでかなり痛かった。この痛みは本物だ。じゃあこの世界は本物だというのか。信じられない。
ふいに知っている人が横を通り過ぎた。
俺は声をかけようとして――――、
――声が出ない事に気付いた。
そいつもこっちを振り返る事はなかった。気付いているはずなのに何故。
周りを見渡すといつの間にか見慣れた景色が広がっていた。
――ここは池袋だ。
さっきまで色を喪っていた世界が急激に嘘のように変わっていた。
なんだ、いつもの。
安心しかけていた俺は、そこに悪夢を見る事となる。
街中の人間の顔がノミ虫野郎のものだった。
「!」
気付かなかった――というのもそこにいる臨也達からはいつもの、何とも言えないあの気配がなかったからだ。本物だったらするはずの、あの。
すると突然彼らは顔を一斉に俺に向けた。そして一様ににやりと笑った。あの、人が悪そうな表情で。
「シズちゃん」
1人がそう話しかけて来た。その声は間違いなく臨也のものだったが、違和感があった。悪意のある声とか棘のある声ではあるのにどうも引っかかる。
「こんなところで君に会うなんて全く今日は厄日だ――そう思わない?」
「黙れ」
憎たらしい、と思いながら俺はハッとした。そうだ、気になるのは苛々しないからだ。黙っているこいつは確かに苛々しない。でも黙っていないのにどうして俺は苛々していないんだろう。いちいち気に障る声をしているのに。今言われた事だって普段だったらもう我慢できずに標識をぶん回しているのに、今は何もしようと思わない。
どうして。
「君が手を出してこないなんて。やっぱり訂正。今日はいい日だ。でもって今日がシズちゃん、君の終わる日だよ」
チャキ、と臨也達が一斉にナイフを出した。
やっぱりこいつは臨也じゃねえよ。あいつなら自分から向かってくる事はない。そういつだって逃げてばっかりのあいつは命の危険を冒す奴じゃない。こんな風に。
「死ねよ」<br>
本物の殺気を出しながら向かってくる奴じゃねぇんだよ――。
生々しくナイフが刺さる感触はなかなか来なかった。
代わりに世界がどんどん自分から遠ざかり、そして辺りは誰もいなくなった。
「――――っ!?」
ガバッと飛び起きるとそこはいつもの俺の部屋で、ああ夢だったのかとほっとした。
あんな世界が現実だなんてそんなはずは――。
「………くそ」
むき出しの殺意なんて今まで散々浴びて来た。あいつは俺のことが唯一嫌いで常々殺しにかかってくる事なんて知っている。なのにあれは本当の殺気じゃないなんてどうして自分は思ってしまったのか。最後の最後、本当に殺れる時、あいつは俺を殺すのだろうか。
そして俺も。
「俺が、あいつを」
嫌いで、気に食わなくて、視界に入るだけで苛々して、全力で向かっているのに何故か死ななくて。そんなあいつと俺の終わらないデスマッチをどこか楽しみにしている自分。でも終わらせたくない。多分俺はその時が来ても手は下せない。わかっている。自分の中でのあいつの存在。いつの間にか消せなくなってしまった存在。
「苛々させんなよ臨也…!!」
むしゃくしゃするからとりあえず一発殴らせろ。
俺は適当に服をひっかけて外に出た。
取りあえず――新宿に行くか。