薄紅の痕
戦場で見つけた、ほんの些細なこと。
もう何度目か分からない奥州の偵察。統一されたとは言え、いまだ落ち着かない奥州領内。独眼竜の動向を探れという命の元、その姿を追って戦場まで出向くのも珍しくない。戦火の飛び火が来ないよう、身を隠せて且つ戦況を把握できる場所を見つけ、そこから偵察をする。遠目からでも忍の眼なら良く見える。
戦力。陣形。双方の被害。その他全ての戦場の状況を克明に記録する。
怒号が飛び交い、火薬と血の匂いが満ちる戦場。
戦功を上げようと奮起する者、目の前の死に恐怖し逃げ出す者、様々な人間が命を燃やす場。
その中でも一際目立ち、恐れられ、戦の中心にいる者。
六爪を振るい、兵を食い尽くす、雷を纏った蒼い竜。
(あんな顔で笑っちゃって)
獰猛に見開かれ、眦がつり上がった眼。三日月に歪んだ唇からは尖った犬歯が覗く。
兵たちの上を跳躍し、剣を振るう様は竜が食らっているそれ。
(戦場で糧を喰らい、天へと昇る、か)
浅ましいと思う反面、その姿はまさしく竜だと思う。
鈍い光を宿した竜の爪が敵将の首を捕らえた。
「Rest in pease」
怯えに歪んだ敵将に、歌うように異国語を呟いて首を刎ねた。
その一閃は今までの太刀筋よりも一層鋭く鮮やかで、きっと敵将は楽に逝けただろう。
「小十郎、勝鬨上げろ!」
今回の戦も何のことはなかった。あとはいつものように甲斐に戻って報告をするだけ。しかし、今回は少し違う。信玄と幸村から託された書状がある。独眼竜が自分の陣営に戻ったらさっさと渡してしまおう。以前にも同じようなことがあり、そのときは戦が終わり、独眼竜が自らの居城に戻ってから渡したのだが、独眼竜自ら「さっさと渡せば良かっただろう」と言ってきたのでそうしている。人の気遣いを何だと思っているのだと思わなくもなかったが、その方がこちらの手間も省けるので何も言わなかった。
さて、今回もさっさと渡して戻ろうと、自陣に戻る独眼竜の後を追う。
自陣に戻り、兵たちを労ったり、今後のことについて指示を出したりと、独眼竜が一通り事を済ませるまで待つ。
(そろそろ終わったかな)
様子を窺っていれば、一人陣営を離れこちらへ向かってくる。その眼はしっかりと佐助の潜んでいる方を捕らえている。どうやら存在はとっくに知っているようだ。まだ戦闘の昂ぶりが治まっていないようで、眼は爛々としている。
(おっかねぇ)
さっさと渡してしまおうと姿をあらわそうとしたとき、それを見つけた。
独眼竜が兜をとった。
頭を振って、気持ちよさそうに瞼をゆるく閉じる。
仰向いてこちらを見上げるその瞳に、先ほどまでの獰猛な色はなかった。
けれども、その白皙の顔に浮かぶ、薄紅の筋。
兜の緒でこすれたのだろう。頬からおとがいにまで、途切れながら浮かぶ淡い赤。
戦化粧というにはあまりに儚いそれは、独眼竜にひどく似合っていて。
(そのままに、しておきたい)
戦のあと、わずかな間だけその顔を飾る、薄化粧。
もし今このまま、あの首を取ったら、あれは永遠になるだろうか。
「猿飛、さっさと出て来い」
独眼竜に名前を呼ばれて、思考を切り替える。そうだ、二人の書状を渡さないと。
音もなく降りたのに、目の前の顔は特に驚いてもいない。
「はいはい。ってか俺がいること断定? これでも忍なんですけど」
「分かりやすく隠れている方がわりぃんだろ」
顎をつんと上げて高慢に笑うその顔を鼻で笑う。ああ、そんな風に笑うから、おとがいの赤い痕が見えるじゃないか。普段、日に焼けない場所の痕は、よりはっきりと見える。
「おー、口悪ぃ。さっき戦ってるときもおっかない顔してたし。もうちょっと愛想ってもんを学んだほうがいいよ」
「Ha! こんな場所で愛想振りまいてどうする。見てるやつもいやしねぇのに」
「俺がいるじゃん」
「Ah? 俺が? お前に? 何の為にだ。意味がねぇ」
軽口の押収もいつものこと。けれども何処か居心地が悪い。そわそわと落ち着かない。今まで気がつかなかったことに気がついたせいか。ほんの些細なことなのに。
「はい、これ。お館様からの書状と旦那からの書状」
「ああ、確かに受け取った」
独眼竜は無造作に書状を受け取ると、踵を返し陣営に戻り始めた。こちらも用は済ませたし、さっさと甲斐に戻ろうと思っていると、独眼竜が歩を止めてこちらを振り返った。
「何ぼさっとしてんだ。返事を書いて遣るからさっさと来い」
「え? そんなに急ぎのものだった?」
「いや。どうせ帰るんなら返事を持たせた方が楽だろう」
「え?」
独眼竜にそんな優しさがあったとは、驚きだ。
「俺が」
「ですよね」
分かっていた。そういう性格をしていることくらい。
「どうした、さっさと来いよ」
こちらを不遜に見遣るその頬には、まだ紅い痕が残っていて。
「はいはいっと」
あの赤が消えるまでなら居ても良いと随分と上から目線で思いながら、独眼竜の後をついて行く。
でも、薄紅の痕が消えるのが惜しいと思ったのは、多分気のせい。