小さな青い鳥 (どうか君のところまで)
冷たく硬い石の感触が、頬を伝って染み渡る。今、ここは?今、自分は?次々と浮かびあがる疑問は、ぼんやりとした頭のせいで曖昧になる。そういう時には体を動かすに限る、今までの経験を踏まえて、身じろぐ。とたんに体に激痛が走り、テッドはようやく自分の身に起きたことをすべて思い出した。
降りしきる雨・自らの手を離れたソウルイーター・別れてしまった親友の顔。捕まってウィンディの前に放り出された時には体はボロボロで、ああこれが死に近づく痛みなのだと、妙に感心したものだった。だがそうやすやすと事を終わらすことは出来ず、おとりとして使うつもりなのか、生きたまま敵の手に引きずられ牢に連れていかれることになった。そしてテッドはその途中で意識を失った。
痛みをこらえながら体を起こしてみれば、体中の傷は放置されたままだった。傷口はもちろんのこと、洋服や寝ていた場所にまで生々しい血がこびりついている。よくもまぁ生きていたものだと、また変に感心する。周囲を見回そうとすると、視界がグラグラした。それはまぁ血が足りないのだろう、未だぼんやりする頭で考え、テッドはゆっくり横になった。どうやらここは石でできた円形状の塔のような場所らしい。人はおろか、ねずみや虫すらいない。冷たい石畳とぐるりと圧迫するように取り巻く石の壁。その壁には古めかしい頑丈な鉄製のドアがひとつついていた。テッドは這いつくばってドアまで行き、震える手で叩く。しかしドアは動くどころか、中まで分厚い鉄が入っているのか音すら響かない。開くことは期待していなかったが、それでもテッドは軽くため息をついた。さっきから寒気がするせいで冷たい床に寝ている気になれず、ずるりずるりとゆっくり壁にもたれた。
「……どおすっかな」
テッドは再びため息をついて独りごちる。返事がないのは重々承知だった。けれど声に出してみるだけで、意外と頭はすっきりする。長いことひとりでいる内に習慣にしたことのひとつだった。
「っつてもどうにもなんないかな」
苦笑し、そして、ぽつり、と親友の名をこぼす。ふとそこで、牢の中がさっきより明るくなっていることに気がついた。見上げてみれば壁の上の方、高い天井の近くに格子のついた小さな四角い窓があった。光と空気を取り込む程度の大きさしかなく、おそらく腕以上は通らない。それでも徐々に明るくなっていることで朝が来たことがわかる。それだけでテッドの心は軽くなった。
「まだ生きてんだなぁ、俺」
ゆっくりと右手を目の前まで掲げてみる。手袋はどこかで落としてきたのだろう、むき出しのその手に紋章はない。
「ごめん……タツマ、ごめん」
震える声でつぶやくと、ちゅん、と返事がある。驚いて声のする方を見やれば、頭上の窓に小さな青い鳥が一羽いた。
「なんだよ、びっくりしたぁ」
テッドの声に釣られたのか、小鳥は首を傾げた後羽ばたき、牢の中に入ってきた。石畳に着地し、飛び跳ねるようにしてテッドの足元にくる。
「そ……んな……!うそ、だろ……」
恐る恐る右手を差し出すと、鳥はそのまま手のひらに飛び乗った。テッドは可愛らしい声で鳴く鳥を凝視する。動物というのは人より敏感なのか、身に宿した紋章の存在を本能で感じ取り、身を守ろうと行動を起こす。命を喰らう禍々しいモノを抱えた人間に、こんな小さな鳥が自ら近づくことは決してなかった。事実、こうしてテッドが小さな生き物に触れること自体久しい。近づいて愛でようとすれば逃げられ、ひどく悲しい思いをしたことが何度もあった。
「ああ……俺、ほんとうに……っ!」
テッドからぽろり、と涙がこぼれる。右手を見て、言葉に出して、自分の選んだ結果は実感しているつもりだった。けれど小さな鳥の存在がより一層心を抉る。ソウルイーターはない、最初で最後の親友に渡した。そのたったひとつの事実が、今はっきりと、目の前につきつけられたような感じがした。涙はぼろぼろとこぼれ、嗚咽もあがる。鳥は驚いたのか手を離れ、美しい羽を伸ばして飛び立つ。
「待ってくれ!たのむ!」
声が届いたのか、青い鳥は窓のところで一旦とまる。思わず身を乗り出し、両手を伸ばす。
「たのむ!タツマのこと嫌わないでくれ!アイツなんも悪くないから……!お願いだ!」
テッドは涙のせいでそれ以上続けられない。鳥は小さく首を傾げると、そのまま音もなく羽ばたいていった。
「タツマをひとりにしないでやってくれ……」
願いが叶うのならば。自分の代わりに彼の元へ。この先どんな未来が待ち受けていたとしても、少しでもタツマのことを嫌いにならないで欲しい。
「アイツ……ほんと良いヤツなんだ。俺の親友でいてくれたんだぜ。それだけで十分わかるだろ?」
そう言ってテッドは優しく笑い、再び壁にもたれかかった。
(どうか君のところまで)
作品名:小さな青い鳥 (どうか君のところまで) 作家名:深川千華