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億分の一の星のような

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「っはー…!疲れた!」

 頭から、川辺の草むらに滑りながら倒れこむ。いわゆるヘッドスライディングってやつ。怪我もしてないし、見た目にもいい感じだったんじゃないだろうか。今の感じを生かして次の野球の試合では思い切りヘッドスライディングしてみよう。
 どくどくと休みなく動く心臓と、ほんの少し痛い脇腹。それに反して、まだ走れると訴えかけてくる脳。体がついてきてないって事は、ちょっと飛ばし過ぎたのかもな。
 折り返し地点はここだから、あとは家に帰るだけだ。でもあと少しだけ、寒い気温と熱い身体と、この草の香りを感じていたい。青臭い緑と、枯れてカサカサしている葉っぱの匂いがする。それを肺いっぱいに吸ってみた。なんとなくガキの頃を思い出した。よくここでキャッチボールとかしたっけ。
 うつ伏せの体勢が辛くなってきたところで、寝返りをうつように、ごろんと仰向けになる。その瞬間、キラキラとしたものたちが目に飛び込んできた。

「すっげえ…」

 星が、綺麗だ。ただそう思った。
 星に興味なんてないから、星座の名前も形も分からないけど、見るだけで凄いと思う。だってこんなに夜空は広くて明るくて、美しいんだから。
 ホクトシチセイ、とか言ったっけ。理科の授業でやったなあ、なんてことを思い出す。漫画で見たことがあったから、形はなんとなく覚えている。
 探そうかと思ったけど、諦めた。星がたくさんあるこの夜空で、たったひとつの星座を、目印も無しに見付けるのなんて不可能だろうと思う。
 ちぇ、ともう一度夜空をぐるりと見回して、息を吐いた。


 ……不意に、獄寺に会いたいと思った。会えなくても良いから、獄寺の存在が確かめられれば。
 獄寺と出会えたことは、夜空からたったひとつの星を見付けられるぐらい運が良かったのかもしれない――なんて思ったから。うわあ、オレ、すっげえロマンチスト。

 思い立ったら即実行、だ。今日のランニングはルートを変えて、獄寺の家の前を通ろう。それで、電気が点いてるのを見てから帰ろう。会えなくてもいいから、ただ確かめるだけでいいから。 身体がまだ充分に動けるのを確認し、直ぐに立ち上がる。
 何回か屈伸して、アキレス腱を伸ばして。俺は走り出す。風を切って進むのが心地好いい。寒さで耳は痛むけど、そのうち気にならなくなるだろう。



――




 はあ、と白い息を吐く。
 今日は一段と冷え込みが激しい。そんな中、一人で自分のマンションまでの道のりを進む。ジャケットのポケットに両手を突っ込んではいても、指先は既に冷たく、感覚はない。足の先も冷えてきて、こちらもそろそろ感覚が無くなりそうだ。
 あまりの寒さに雪でも降るんじゃねえかと空を見上げても、雲はなくただ星が煌めいているだけだった。
 あと少しで家に着く。そうしたら、さっさと風呂に入ってこの冷えた身体をどうにか暖めよう。きっといつもと同じ温度のお湯でも熱く感じるのだろうな、とこわばった指を解すように動かしながら思う。

 視界に入ってきた自分の住むマンションの入り口。ああ着いた、とホッとした瞬間、玄関付近をうろうろしている人影が見えた。
 寒い中こんな時間に何をしているんだ、まさか不審者じゃねえだろうな、と忍ばせているダイナマイトに手を伸ばす。用心に越したことはない。しかし寒さのせいで己の武器が巧く掴めない。指が言うことを聞かない状態にやきもきしていると。

「あ、ごくでら!」

 その人影は俺の名を呼んだ。

「てめえ、……何やってんだバカ!」

 ニッと笑いながら小走りで近付いてきたのは、バカ――もとい野球馬鹿だった。自分は厚手のジャケットを着ていても寒くて死にそうなのに、山本は普段着の上にウインドブレーカーを上下というだけで、見るからに寒そうだ。

「……何で此所にいるんだよ」
「ランニングしてた。」

 彼はそう言うと、今日はいつもとランニングコースを変えて、俺の家の前を通ってみたくなったんだ、と言った。
 確かに彼の息は少しあがっている。格好が寒そうなのは確かだが、其れほど寒さを感じていないように見えた。

「つか獄寺、顔真っ赤じゃん。寒くねえ?」

 不意に山本の指が俺の頬に伸びてきた。冷たい俺の頬に山本の指が触れる。うわ、あったけえ。走ると指が冷え切ってしまう俺とは、もはや身体の造りから違いそうだ。

「寒いよ、俺もう入る」

 そう言うと、彼は頬から手を離す。温かさが少しだけ名残惜しい。そんな感情を振り切るように、じゃあな、と別れを告げようとする前に、山本は突然空を指差した。

「星、すっげえ綺麗だよな!」
「……おお、」
「な、獄寺はホクトシチセイわかる?」

 突然何を言い出すのかと思えば、更に質問を重ねられる。彼が指差す空をふいと見上げると、先程も見た通り星は綺麗だった。北斗七星くらいならば形も場所も大体把握している。探せと言われれば出来ないことはない。ぐるりと北側を向いて、煌めく宝石の中から一際眩しい七つの星を見付けた。

「あれだろ」

 そう言って指を差し、山本の方を見遣る。彼は俺の指の方向を見ずに、幸せそうにニッと笑った。

「獄寺すげえのな、こんなにいっぱい星あるのに分かるんだ」
「一般常識だろ」
「そうなのか?まあいいや、じゃあな!また明日!」

 唐突に彼の身体が道路の方を向いた。来るのも唐突だが帰るのも唐突。ついでに突然の質問の意味も結局分からない。北斗七星を聞いた意味は何だったのだろう。
 彼は顔だけ此方を向けていたので、仕方なく答えるように左手を挙げると、満足げに笑ってからもう一度また明日と言って、走って行った。

 踵を返してマンションに入る。其処で初めて、冷えきっていた筈の身体が少しだけ温まっていることに気が付いた。
――彼奴と一緒にいると、俺まで温まるのだろうか。
作品名:億分の一の星のような 作家名:あきと