kick the bucket
そのいち。ロープの先に手頃な大きさの輪を作る。そのに。輪の反対側のロープの先を、自分の背よりも高い位置にある木の枝に結ぶ。そのさん。バケツをひっくり返して輪の下に置き、それに乗る。そのよん。首に輪を掛ける。そのご。バケツを蹴る。
たったこれだけで人は死ねる。其れは俺も例外ではない。人間が生まれて育つまでに時間も金も労力も恐ろしいほどかかっているのに、こんなにあっさりと命は消える。
だけどさあ、首を吊って自殺なんかするのは美しくないと思わない?人の生涯の過程をぐずぐずに腐らせるような、そんな死に方は俺はしたくない。それに、自殺すると輪廻転生できないらしいし。
どうせ死ぬなら腹上死がいいよねえ。ねえ、どう思う?
静ちゃんの家に上がり込んでぐうたらしていたら、家主が帰ってきた。とりあえず彼は疲れているようだったので、ニュースで見ていた自殺の話を振ってみた。彼がぷっつんとキレる事を狙いつつ。
彼は疲れた表情の上に益々こめかみをピキピキいわせていたけれど、最後の言葉に反応して、固まって。それから数秒。誘われていると受け取ったならば愉快だ。まあでも、今の気分は殺されかけようがヤられようが余り変わらないから、どう取られてもいいや。暇だし。
「……お前って、転生できるとか思ってんのか」
「……ああ、そっち。そこ驚くところかなあ。その後に言った方に反応してほしかったんだけどなあ。」
期待外れの返事。でも多分、静ちゃんは言葉の意味を知らなかったんだと思うんだ。ニヤニヤと笑うと、彼は気持ちわりいと言いながら手元にあった割り箸を投げてきた。さっと避ければ割り箸は俺の後ろの壁に少しめり込んだ。なにそれ規格外すぎない?
彼は色々な事を諦めたのか、俺を無視して風呂に入ることにしたらしい。がさごそと準備をする彼を見ながら思う。入浴中を襲ったらどんな顔をするんだろう。いつかやってみたいとは思うけど、死に急ぐような真似はしたくないから後でいいや。
面白くもないテレビの電源をもう一度点けて、畳に足を投げ出すように座り直す。彼の家のこの部屋は和室で、俺にはあまり馴染みがないからいつ来ても新鮮に感じる。それから、このアナログ全開なテレビにも。
俺の家に有る薄型のものとは違う分厚い箱の中からは、先程と同じニュースがまだ流れていた。自殺が、ストレスが、精神が、環境が。同じようなワードが連呼されていく中で、死ぬ勇気があるなら生きる勇気もあるはずだ、なんてお決まりのセリフが聞こえた。
本当だよね。世の中の愛する人間達。首吊って死んじゃう勇気があるんなら、静ちゃんに一矢報いるっていうのはどうですかね。ま、それで静ちゃんのこと殺せたとしたら俺は大いに感謝するよ。どうせ無理だろうけど。だって静ちゃんを殺せるのは俺しかいないんだから。
それから、俺を殺せるのも静ちゃんぐらいしかいないと思うんだ。だって、こんな化け物みたいな奴と付き合うのって、死にに行ってるようなものでしょう。でも俺、まだ死んだことないからね。自慢じゃないけど、化け物と付き合ってても平気な程度には俺も強いみたい。
まあ、流石に首に縄掛けて引っ張られたら死んじゃうけど、俺は縄を掛けられる前に切るし、そもそも掛けられるようなヘマはしないし。
「ん、これやるよ」
風呂の湯加減を見に行っていた静ちゃんが、部屋に帰ってきて何かを投げてきた。今度は割り箸とは違い、放物線を描いて俺の手の中にすとんと落ちた。見ればそれは個包装されたチョコレート。しかも俺がけっこう好きなやつ。
「なにこれ、毒でも入ってんの?」
「んなわけねーだろ。仕事んときにもらった。お前それよく食ってんだろ」
彼は面倒くさげにそう言うと、部屋の一角に山積みになっていた洗濯物の中からスウェットを取り出して、沸いたらしい風呂へと向かった。部屋に残ったのは、俺と手のひらのチョコレート。静ちゃん、俺の好み知ってたの
実に困ったことに、こういうことされると、静ちゃんにきゅんとする自分がいるんだよね。で、それを自覚すると自己嫌悪で死にそうになったりする。そんな理由で死ぬとか笑えないなあ。腹上死が良いっていうのは思い切り口から出任せだったけれど、ときめき後恥のコンボで死ぬよりはマシかもしれない。
チョコレートの包みを開けて、口に放り込んだ。舌の上でどろりと溶けていくそれを堪能しながら、この感情にどう対処するか考える。ううん、たまにはこのチョコレートのようにひたすら甘いこと、してみようかな。
というわけで、入浴中の彼を突撃しようと思います。彼を殺すためでも死にに行くためでもないよ。一緒にお風呂に入って、イチャイチャするためさ。
kick the bucket
(或いはこれも自殺行為)
作品名:kick the bucket 作家名:あきと