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「このご時世にカーナビ無しとかありえねー」
「文句を言うな!安くしてもらったんだ。十分だろ」
「まあ及第点だな」
確かに見た目おんぼろのレンタカーの割には、ほこりっぽいが空調はちゃんとしているし、動作も申し分ない。昔なじみから格安で貸してもらったというが、その人脈の深さには全く驚かされるばかりだ。家康ははふはふと麺をすすりながら「しかし、」と、政宗に話を切り出してきた。
「よく片倉殿の許可を取り付けたな。なかなか渋っておったろう」
最後に会った小十郎のあの眉間の皺を家康はよく覚えていた。確か政宗の部屋で、地図をおっぴろげ、二人であーだこーだと計画を立てているときに彼が入ってきた時のことだ。その部屋のあり様を見たときの彼の顔には「何か嫌な予感がする」とありありと書いてあった。とはいえ家康には結局は政宗に折れてしまう彼の姿もよく想像できた。まあ、それにしてもあの状態の片倉殿をよくもねじ伏せたものだと家康が感心していると、政宗は熱い麺を豪快に咥えながら、視線だけ家康によこした。
「あ?んなもんわざわざとってないぜ」
「は!?まさか飛び出して来たのか!?」
「いや?書き置きはしてきた」
「おいおい…」
これまた破天荒な政宗の返答に呆れた家康は、二ヶ月後に帰ってきたときが怖いなと笑った。そんな家康を見て、政宗は麺を片手に「そうかもな」と適当に相づちを打った。しかしながら政宗としては、過保護な保護者である本多があっさりとこの旅を容認したことのほうが驚きだった。可愛い子には旅をさせろ、なんて理由でもあるまい。
それほどまでにこの男が根を詰めていたのかもしれないと、政宗は思った。
きっかけは、昼休みに家康がポツリと洩らした些細な一言だった。
「旅がしたい」
家康としては、「宝くじが当たったらいいなあ」程度のなにげない希望だったが、それを横で聞いていた政宗がそれに乗ってきて、それじゃあと二人で計画を立て、予算を貯め、あれよあれよと決まって今に至る。数ヶ月前には運転免許をもっていなかった家康が短期間で取ってきた免許を誇らしげに政宗に突きつけたものだった。政宗といえば、もうとっくの昔に取ってバイクを乗り回していた。(尤も、政宗にとって免許の有無など些細なことで、中学にはもうバイクで通学など当たり前だったのだが)
なんとかなるものなのだなあ、と家康は今となっては思う。数ヶ月前の自分にとって、この状況は夢でしかなかったというのに。ゴミ袋に食べ終わったカップを突っ込むと、政宗はキーを回した。エンジンをふかし、ライトを付ける。
「さて、とりあえずは下ればいいか?」
「そうだな、しばらくは」
「long time no see.…変わってやがるんだろうな、色々と」
「そりゃあそうだろう、変わらぬものなどないさ」
計画を立てていく中で、行きたいところをリストアップすれば見事に懐かしい地名ばかりだった。これには二人で笑ったものだ。
今と昔は違うと分かってはいるものの、こればかりはどうにもできない郷愁なのだろう。己の目で見ればまた思い出すこともあるのだろうか。そっと家康は瞼を閉じた。
「それでも、変わらぬものがあればいいなあ」
わかっている、そんなもののほうが少ないと。それでも願ってしまうのは、これが過去を昇華する旅だからだろうか。
そんな家康の小さな希望を、政宗は横で静かに聞いていた。思い出すのはここ最近の数日間の家康の挙動だった。計画が固まって行くにつれて、己の我が儘に付き合ってくれる彼には感謝極まりないと家康は度々頭を下げたが、政宗はその度「うぜえ」と家康の頭をぐしゃぐしゃにした。
俺はちょっとの迷惑もかけられないぐらい信用されてないのか。あんたを信じてるのは俺ばかりかよ、と。
拗ねた政宗の言葉に、家康の丸い眼が更に丸くなった。
この世ではもう干渉しすぎることに躊躇はいらないと、政宗は家康に昔言えなかったことも全てぶちまけている。昔でも政宗は家康の立場などいざ知らず、「あんたに毒を盛るヤツなんざいねえだろーよ」と言いながら平気で毒を盛るぐらいの勢いだったが、しかしそれでも家康の溜め込んだものには触らず、平気で嘘を吐く彼を気にくわないと思いながらも好きにさせていた。
それが上をまとめる者には必要なことだったからだ。何も言うことはあるまいと口をつぐんだ。心を殺してまでの決意をぶれさせる言葉などナンセンスだと政宗は考えたのだ。
しかしもう、400年以上が経ったという。もう、いいだろう。殺したものを拾っても、誰も文句は言うまい。
「Ha!飛ばすぜ!酔うんじゃねーぞ!」
朝方のトラックばかりが蔓延るハイウェイに車を発進させる。早朝からの出発ではあるものの、眠くはない。あるのは只、高揚感のみ。政宗自身純粋にこの旅を楽しみで仕方なかった。何も家康ばかりではない。記憶だけが知っている地をこの目で見ることができるという、一種の冒険心はそれこそ家康以上に政宗の胸の内にもあった。それは、昔感じた感覚に似ていた。かろうじてついていた車のCDプレイヤーに政宗のお気に入りのCDを入れようとしていた家康がげんなりと呟いた。
「お前のその血気盛んなところは変わっても良かったとワシは思うぞ…」
「あきらめろ、『徳川』。俺はそう簡単に変わってやらねえ」
「ワシもだ、『独眼竜』。…ワシらはいつまで経っても頑固者だなあ」
「違いねえ」
そう言って、二人で喉を鳴らして笑い合った。
「さあて、長旅の始まりだ」
東の空がしらけ始めていた。もうすぐ夜明けだ。