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わたしと貴方とこの青い空と

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わたしが両手をひろげても
お空はちっともとべないが

とべる小鳥はわたしのように
地面をはやくは走れない

わたしがからだをゆすっても
きれいな音はでないけど
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ

すずと小鳥と、それからわたし
みんなちがって、
みんないい



***



見上げることしかできない私は、遠い空に憧れた。




青が、私を見つめていた。
人ごみの中、石畳をそっと渡る。硝子窓の向こう、手のひらを当てたその先。
初めて見る西洋人形に、私は目を奪われた。

覗き込む。まるで空みたいな、青い目。
(異人さんは、みなさん目が青いのでしょうか…)
数日前に出会った、恥ずかしそうな笑顔の彼が、脳裏を過ぎった。
(…あの時は、本当に申し訳ないことを言ってしまいました…)
目を伏せる。硝子が、ひんやりと冷たい。
着任式に向かう途中、出会ったのは米軍の戦闘機だった。

怖かったのは、正直本当。小金色の髪に青い目。黒一色しか見慣れていなかった自分にとって、それはあまりにも異質だった。
翌日。会いに来てくれた兄達を見送った帰り。また同じ場所で、同じ色に出会った。
どうしようかと後ずさりする自分に、彼は「お願いだから、怖がらないで」と優しい声をかけてくれた。
その時初めて、彼の顔をちゃんと見た。
光に透ける金色の髪と。空を溶かした青い目。けれどそれ以外は、自分とまるで変わらなかった。それ以外は、今道を歩く人ともなにひとつ変わらなかったのだ。

そう。
わたくしは、彼を怖いとは思えなかったのです。

思いを反芻する。
言葉にすると、少しだけ落ち着いた。
(怖いのは…きっと彼ではなく、わたくしのほうです。)
自分の両手に視線を落とす。それをじっと見つめた。
進水の合図と共に、高波が、全てをさらっていく。体勢を立て直そうとしても遅かった。人の叫び声、家の壊れる音。
守るために生まれたと思っていた。守るために行くのだと思っていた。
声すらなぎ倒されていく。
その光景が、目に焼きついて離れない。


「何かお探しですか?」
振り返ると、外套に身を包んだ青年が佇んでいた。逆光で顔がよく見えなかったが、静かで落ち着いたこの声には、聴き覚えがあった。
「比叡さま!」
「今晩和。上司の方が探しておられましたよ」
懐かしい顔に嬉しくなったのは一瞬。そう言われて、血の気が引いた。
そうだ。一人で考え事がしたくて、自分は上司にすら黙って出てきてしまったのだ。
「あ、あああ申し訳あ」
「私のお使いを頼んだと、丸め込んでおきましたから」
大丈夫ですよ。と、笑われた。ほっと息を吐いて、礼を言った。
比叡は隣に並ぶと、少し腰を屈めて硝子の向こうを見つめた。
「少し古いものでしょうが…。いい出来ですね。この西洋人形をご所望ですか?」
そこで初めて、自分はまるで硝子板にへばりついているような格好だと気づいた。
恥ずかしくて、石畳2つ分後ろに下がった。

「欲しい…わけではないのですが」
きらびやかな洋装。自分と異なるもの。異質でありながらも、美しい姿。
「目が…綺麗だと思って」
その青に、彼の面影を重ねた。幼い頃の憧れを重ねた。そして、思った。
「比叡様の目も…」
気のせいだろうか。少しだけ、青い。
「…私のは、混ざり物ですよ」
自嘲に似た苦笑。軍帽の唾を持つと、目深に被り直した。
慌てて謝る。すると、「見つめられるのに慣れていないだけですよ」だから、気にしないでください。と優しく応えを返された。
比叡は再び、人形に視線を戻した。

「青い目に、何か良い思い出があるのですか?」
すっかり萎縮してしまったらしい。隣でしょんぼりと肩を落としている少女に問いかけると、彼女は勢いよくこちらを振り向いた。そして少しだけ、考えるような動作をする。赤くなったり青くなったり忙しい。一連を見つめていると、結論が出たらしい。少しだけはにかんだ様な嬉しそうな笑顔で、「はい」と答えた。
まるでどこにでもいる、恋をしている少女の顔だった。
外見だけを見れば、おかしくない話だ。けれど、自分たちにはどう考えてもおかしな話だった。
比叡は、複雑な表情で武蔵を見つめた。ここで生きるには、煩わしいことが多すぎる。比叡自身も。もちろん、今目の前にいる少女もだ。
「…お相手の方は幸せですね」
まるで誰かに語りかけるかのように、言葉を漏らした。
それは間違いのない本心だった。


* ****


「で?それを私に聞かせて、どうしようと言うのだ?」

大和の執務室に訪れた武蔵は、一冊の本を持っていた。

どういう話の流れかは知らないが、比叡氏から頂いたものらしい。彼は何をもってこんな物を買い与えたのか。私には全くもって理解できない。話半分に耳を傾けて聞くと、巷で人気の女流作家の詩集らしい。
武蔵は何をどう気に入ったか知らないが、さっきからその本を私に読み聞かせている。

詩集から顔を上げた武蔵は、大和の顔をじっと見つめた。
ほとんど反射的に、視線を逸らしていた。

「…わたくしたちに、よく似ていると思いませんか?」

武蔵はそう言うと、また視線を落として頁を捲り始めた。
椅子から立ち上がる。物音に気づいて顔を上げる武蔵の、その横を通り過ぎて扉に向かった。
「お出かけですか?」
問うと、「ああ」と短く答えた。何となく、この場にいるのが辛かった。

「お兄さま」

武蔵のほうを振り向く。振り向いて後悔した。その姿の向こうに、あの人が重なった。
手に入らない。望めない。羨望と嫉妬。
何となく、じゃない。ここにいたくない理由も。自分の妹から目を背けている理由も、自分が一番分かっている。

「笑ってください。そのほうが、きっと楽しいです」

あの人とよく似た顔で、あの人とは全く異なる表情で、彼女は少し寂しそうに笑った。
扉がゆっくりと閉まっていく。武蔵の言葉に何も返さないまま、大和は部屋を後にした。




その誰もいなくなった部屋に。小鳥がさえずるかのような、小さな詩が響く。


わたしが両手をひろげても
お空はちっとも飛べないが

飛べるあなたはわたしのように
海を自由に走れない

空を溶かした硝子のような
綺麗な青は持てないけど
静かに眠れる夜のような
深い黒で迎えよう


敵でも味方でも人でも兵器でも

わたしとあなたと、生まれた国と
みんなちがって、
みんないい






「また・・・お会いしたいです。ノラ猫さん」






(敵だと、分かっていても)

(・・・・・・わたくしは、きっと、恋をした…)









武蔵はそう呟くと、静かに詩集を閉じた。




***




金子みすず著
「わたしと小鳥とすずと」より引用。