ホラーショー
そうは思うが口には出さない。涙目でじとりと睨みつけられるのが目に見えているからである。
夕食もその後片付けも済んで、あとは風呂の湯が湧くのを待つばかりだ。その間、元就としては妻としばしくつろぎの時間を過ごしたかっただけなのだが、何の気なしにつけたテレビでホラー映画を放送していたのがまずかった。いや元就としては特に不都合もないのだが、心霊現象を信じる信じないの前にからっきし興味のない夫に対し、妻はそういう類のものが大の苦手なのだ。今も大きめのソファーに座った元就の腕にしがみつき、幸村はびくびくと微かに震えながら、しかし大きな目はじっとテレビ画面を凝視している。怖すぎて逆に目が離せなくなっているらしい。
怖いなら見なければいいのに。再度思うが妙に頑固な幸村は、一度見始めてしまった映画や本はきちんと最後まで見なければ気が済まない性質だ。変なところで神経質なのである。それとも単に律義なのかもしれない。最後まで見なければ製作者に失礼だとか、十分可能性はある。
幸村の胸に抱きこまれるようにしてしがみつかれている腕が少し痛い。今着ているのは綿のシャツだが、これでは皺がついてしまうだろう。アイロンをかけるのは結局彼女の役目なのだが、結婚してもうすぐ半年になるというのになかなかどうして不器用な妻のことだ、また焦がして穴を開けたりしなければいいのだが。シャツなどまた買えばいいが、もし火傷をしたり、自らを責めて落ち込んでいるような姿はあまり、見たくない。結局のところ、元就は、日なたで笑っている彼女が好きなのだ。
1時間と少しのその映画は、残りあと3分の1程度だ。元就は妻に気付かれないように欠伸を噛み殺した。湯はとっくに入り切っているだろうが、幸村はまったく気が付いていないようだ。相変わらずじっと画面に見入っている。
元就がその顔を眺めていたことすら気付いていない彼女から視線をずらし、テレビ画面へと移した。薄暗い部屋の中で、女が半狂乱になって悲鳴をあげながら逃げ惑っている。
妻ほど真剣には見ていない元就だが、だいたいのストーリーは掴んでいた。昨年なんとかとかいう賞を取った作家の小説が原作らしい。そういえばよくCMをやっていたような気もする。大ヒット上映中云々といううたい文句はあまりアテにならないものだが、これはどうやらアタリだったらしい。CGもメイクも、俳優も実力派ぞろいで申し分ない。焦らし方も絶妙で、なるほどこれは幸村でなくとも先が気になってもおかしくはないな、と思った。
画面の中の女が狂ったように叫ぶたびに、横に座る幸村の肩がびくりと跳ねる。空いている手で頭を軽く撫でてやったら、一層腕の力が強くなった。
その後約30分ほどして、ようやく映画は終わった。未だ腕にしがみついたままの妻に目をやると、放心したのかまだ画面を眺めていた。
「幸村」
振り向いた頬には、流れ落ちた涙の跡が残っていた。風呂だ、先に入れと促してみるが微動だにしない。なら我が、と言いかけたところでぶんぶんと勢いよく首を横に振られた。もはやしがみつくというより握り込められた腕が痛い。
珍しく聞き分けが悪いな、とそこでふと思い当った。
「…さっきのアレか」
一瞬の間を置いて、こくこく、と今度は縦に首を振る。確か中盤頃にあった。浴室で恐怖体験をするシーンが。身体を洗っていると上から雫が滴り落ちてくる。なんだと思って見上げると、そこには血まみれの女が血走った眼でこちらを凝視しているのだ。
「…水場は出やすいそうだぞ」
「…っ!?」
咄嗟に吹きだしそうになるのを堪えるのが大変だった。相変わらずからかうといい反応を見せてくれる。見上げてくる目は本人からすれば睨んでいるつもりなのだろうが、潤んだ目からは子犬の威嚇を真っ先に連想した。
これ以上遊んでしまうと本気で泣きそうだ。込み上げてくる笑みを何とかこらえながら、元就は現状では最善と思われる案を口にした。
「共に入るか。久しぶりに」
「…あいすみませぬ…」
俯いた拍子にさらりと流れた髪から覗く耳が赤いのは、たぶん涙のせいではない。