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笑ってもいいよ

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「本日の紅茶は××と××のブレンド、××産のものーー」
 いつもの魔法使いじみた口上を、アロイスは無感動に聞いていた。呪文のように長い名前をした紅茶が、これまた魔方陣のような蔓草模様が描かれたカップに注がれる。不機嫌な表情を作るまでもなく滑らかに動く執事の手を眺めながら組んだ足を小さく揺らしていると、早く、と急かしてみたい衝動が一瞬だけ浮かび上がって、すぐにぱちんと弾けた。
 彼岸にもきちんと春夏秋冬があって、現世と全く同じ世界のように見えて、だから今は春で、薔薇園ではアロイス好みの甘い香りを漂わせた花たちが思い思いの色を纏っていた。そろそろアイスティーが欲しくなるころでもあった。だからわざと胸元のりぼんは緩めてあって、ときどき心地いい風が撫でるのを待っていた。
 その風に運ばれたのか遠くからふと子どものはしゃぎ声が耳を掠めたような気がした。つられて顔を上げたアロイスの視線が執事のそれとかち合い、あたりが急に静かになるような錯覚が下りる。やがてこれもとぎれたものの、聞こえたかと思った声はもう跡形もなかった。
 pけれどふたりとも同じ瞬間に顔を上げた、ということは。
「クロード、今の聞いた?」
「はい」
「戻ってこないって言ってたのになあ。ハンナはバスケットまで用意してたみたいだし」
 再会したばかりのころは兎も角、近ごろのルカが四六時中兄にくっついていることは少なくなった。今朝もそれで虫取りをするとハンナを引き連れて意気揚々と出かけていったところである。屋敷は断然静かになり、弟が及ぼす影響の大きさをアロイスは改めて感じて、どうしてだかそれがすこし嬉しかった。飲みかけの紅茶茶碗をソーサーに戻し、五時を浮かせて遠くにピントを合わせてみる。
「でも、流石に見えないか」
「ルカさまのぶんもご用意しますか」
「うん……うぅん、やっぱりいいや。どうせ俺の手から食べたがる」
「左様で」
 今日の茶菓子はプレーンとレーズンとチョコチップの三種のスコーン。そうでなくとも手づかみをしたがるアロイスには打ってつけのメニューである。律儀に揃えられたナイフとフォークには見向きもしないで、袖口にべっとりとついたのにも構わずさくらんぼのジャムとクロテッドクリームをめちゃくちゃに塗りたくった。そうしてしばらく、焼きたての香ばしさと交じり合うさわやかな甘いにおいを楽しんでから口元に運ぼうとしたが、おもむろに首を傾げ、不動の執事を見上げて、
「クロードも、食べたい?」
 答えは勿論分かり切っている。気取って眼鏡を押しあげるか意味もなく髪を掻きあげるかして、いえ、と小さく口にするもしくは黙殺。つまり結局はいつもの戯れなのだった。見上げた動かない表情をキャンバスに夢想しながらアロイスは大口を開けて一口で頬張り、もう次のはどれにしようかと考えはじめた。ほろほろ崩れるスコーンとクロードのお手製のジャムの組み合わせはそれこそ悪魔じみていて、自制しなければいつまでも食べ続けてしまいそうな美味しさなのだ。
「うん、ほんと、美味いよ」
 べとつく手を拭いもしないでティーカップを手に取り、口のなかのものを流し込んでからいよいよふたつめ、チョコチップ入りのにとりかかる。
 と。
「旦那さま」
「んー?」
「手ずから食べさせてくださるということでしたが」
「ん?」
「ですから、手ずから食べさせていただける、ということでしたが」
 どこか遠くでもずが一声鳴いたのを皮切りに、アロイスが取り落としたスコーンに小鳥たちがさっそく群がった。
「お前、あれ本気にしたの?!!」
 しかしすぐにテーブルをひっくり返しそうな勢いで立ち上がったアロイスに脅かされて散っていってしまう。
「ええ」
「うわあ……」
 今度は騒がしい小鳥が場を取り持つこともなく、身を乗り出した主とあくまで真剣な顔をした執事が見つめあった。やがてアロイスのほうが先に根負けしたらしい。どこか虚脱したかのような顔をしてすとん、と椅子に座り込み、新しいスコーンを手に取りもくもくとジャムとクリームを塗っていく。きちんとバターナイフを使って。汚くならないようどちらも量は少なめで。最後に出来上がったものを検分してから、再び執事を見上げた。
「で?」
「出来ればもう少し腕を伸ばしていただけると」
「なんか、注文が多いんだけど」
 完璧にあきれた声ではあったが、兎に角アロイスは餌付けでもするみたいにどこかおそるおそる腕を差し出した。すると相手の大型動物はすこしだけ身を屈めて、耐えきれずにスコーンをそのまま口の中に押し込もうとしたアロイスの指ごと食いついた。あまつさえわざとらしく音をたててねぶるものだから、誰も見ているわけのない場所だというのに少年の白皙の頬にうっすらと羞恥の朱が差した。それくらい目の前の光景が倒錯しているように思われたのである。
 なにしろ今はまだあたたかい陽光がたっぷりと庭を包んでいる午後のティータイムで、別にこんなこと、ランプシェードの中で絞られた明かりの下ならなんでもないだろうに、何もかもを客観的に見せてしまう太陽の下でまた夜を想像してしまって、だから。
(ばかみたい、だ)
 唇を尖らせて、小さく呟いた。
「いつまで食べてるつもり」
「いつまでよろしいので」
「別に。……好きにすれば」
 言いながらもアロイスはそこから、その状況から指を引き抜いた。今は指輪のされていない、さくらんぼのジャムとクロテッドクリームの残骸と、唾液でてらてら輝く指。クロードには見えないように俯いて素早く舐めると甘い味がする。
「ほんと、」
 花とジャムの香りが入り混じった甘い空気の中、だらしなく椅子に腰掛けたすぐそばに早くも冷静さを取り戻した(いや、そもそも彼はそれを失ってすらいなかったはずだ)黒い執事が立っている。スコーンをひとつ手にとって、ぼんやりと口に放り込む。それから紅茶を口にして、空になったティーカップを置くとすかさずおかわりが注がれる。
 あまりにも唐突で暴力的にアロイスを攫おうとする日常を、当たり前だとでも言いたげに押し黙ったままの執事を見上げて続く言葉を紡ぎ出そうとして、不意に押し出された何かがあった。
「クロード」
「ここに」
 そして与えられた答えのあまりのあざとさに笑った。
「ここ?」
「お側に、おりますが」
「ふぅん」
 彼岸とは変わらない場所だと聞かされた。不変と停滞に彩られた永遠の世界に根を下ろすことは後悔すら許されない衰退であるのだと実感とともに知った。与えられたあたたかさの中で過ごす日々はたしかに退化だった。アロイスは媚びを忘れた。偽りを忘れた。演技の仕方すらも忘れて、いまもみっともなく動揺して、拭い去ってくれるクロードの指を待っている。
 涙を意のままに操った日々がなつかしい。
「実際、笑えるんだ」
 こんなこと、おれに相応しくもないのに。
 見下ろす視線に向って笑顔を作ってみせた。
「クロードがいちばんよくわかってるだろう?」
「いいえ、旦那さま」
 あたたかな風が一筋通り過ぎたついでにアロイスの髪を乱す。
 だから、今はその表情が分からない。
「あなたさまがお幸せなら、それでよいのです」
作品名:笑ってもいいよ 作家名:しもてぃ