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『long friendship』冬コミ新刊サンプル

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 朝は珈琲だと決めていたわけでもない。
 それでも気付けば、その香りで目が覚めるのが、もうここ数年の帝人の日常でもあった。
 わざわざ豆を挽くところからはじめるなんて真似は自分ではなかなか出来そうもないけれど、インスタントの粉とは香りも味も、当然のように随分と違うそれがもう舌にも馴染んでいた。
 容赦なくカーテンの隙間から落ちてくる陽射しにも負けずに、部屋の中はまだ肌寒いくらいの温度を維持している。布団の中でもう一度丸くなってから重い目蓋を抉じ開けると、朝と呼ぶには随分と遅かった。
 時計の針はすでに正午を通り越えていて、いくら休みだといってもいい加減起きないと身体が鈍りそうだ。それでも珍しく呑みすぎた昨日の酒がまだ体内に残っているのだろうか。吐き出した息がかすかに掠れて咽喉を鳴らした。それでも、空気の入れ替えにといつも少しだけ空けている扉から入り込んでくる珈琲の香りが、反射のように空腹を思い出させた。
 のろのろと布団を抜け出すと、いつのまにか寝間着にきちんと袖を通していたらしい。或いは着せられたのだろうか。きっちりと胸元まで閉められたボタンを首まわりを緩めるように外しながら、ぺたぺたと音を立てて廊下へ足を向ける。久し振りに使った体力に悲鳴をあげるように四肢がぎしぎしと痛んでいた。
 メゾネットの内階段を降りて、静まり返っているキッチンに顔を出す。いつものように朝方淹れたのだろうか、まだあたたかい珈琲をカップへ注ぐと、それでも充分なほどの香りが周囲に広がっていく。
 事務所代わりになっている広いリビングは、数日前まで随分と書類に埋もれていたような気もするのだけれど、無礼講とばかりに食べ散らかした跡まで含めてすっかり綺麗に片づけられていた。
 数ヶ月かけた大掛かりな仕事をあげたからと、昨日は久々に此処で酒盛りめいたものをしたのだ。
 酒は然して強くもなければ、弱いわけでもないと思ったのだけれど、部屋で飲むなんて慣れない真似がいけなかったのだろうか。それとも連日の寝不足が祟ったのだろうか。悪酔いをした翌日のように、頭の隅の方が鈍く痛んでいた。くわり、と大きく欠伸が零れて足許に溜まるように落ちていく。軽く伸ばすように捻ると、持病のように凝り固まっている背中がばきばきと音を立てた。
 テーブルの上に用意されていた朝食はすっかり冷めていたけれど、起きる時間が遅くなるのも計算していたのだろうか。丁寧にラップで包まれた皿の上に、わざわざ手作りのサンドウィッチが並んでいる。時間が経っても美味しいといつだったか帝人が零したのを覚えているのかもしれないし、或いは偶然かもしれない。ひとつ摘んで口に放りこんでから、眠っているパソコンを起こすようにキーボードを叩いた。
 考えてみれば「後輩」でいた期間のほうが短いことになるのに、いまでも彼が「先輩」と呼んでくるからだろうか。或いはただ、二人そろっていつまでもあの頃の延長線にいるのかもしれない。同居人とも居候とも何処か少しばかり違うようなポジションで、最近では仕事上での唯一の助手でも部下でもある彼――黒沼青葉は、ここに住み着いた数年のうちに何故だか家事の腕までも順調に上げていた。
 そこまで全面的に押し付けているつもりはないのだけれど、生活能力がないと称される帝人の性格も相俟ってか、気付けば当たり前のように世話を焼かれる習慣が日常に溶け込んでいる。「しっかりしてください」なんてあきれたように言いながら、面倒見がいいと知っている。別段、そうでなければ困るというものでもなかったけれど、彼はすんなりと他人の懐に入り込むことが巧いのだ。不快ではない程度に手を出されて、その距離感はゆっくりと狭められていた。
 幾つかの郵便物と一緒にテーブルに畳まれていたメモを拾い上げて、目を通しながら風呂のスイッチを押すと、耳慣れた機械音の後に少し遠くでお湯の溢れだす音が聴こえてくる。湯気を零しているマグカップに誘われるように口を付けてから定位置の椅子に腰を下ろした。

 帝人が寝ている間に出かけるときは大概、メモを残すのが青葉なりの礼儀だった。或いは一種の自己主張のようなものだろうか。
 別段、そうしろと言ったことも約束したこともないのだけれど、それは多分、彼自身の育った環境からきている習慣なのだろう。二人しかいない仕事場の関係でどうしてもお互いに行き先くらいは共有しているのが当たり前で、大概が言われなくても知っているものばかりだったけれど、律儀に置かれるメモに目を通すことも、気付けば帝人の生活の一部だった。
 仮眠のときには帝人も起こしてほしい時間を書いて置いているものの、彼のそれとは多分、少し違っているような気がしていた。
『おはようございます。お昼はラップして置いておきますので、食欲があるようならちゃんと食べてください。栄養ドリンクは冷蔵庫と、それから買い置きをいつものところにしまっていますがほどほどに、』
 それは文字通りただのメモだった。
 取引先に年始の挨拶で貰ったロゴ入りのものだとか、ミスプリントの裏だとか、そんなものにいつでも走り書きのように見慣れた文字が踊っていた。
 それでも、ここまできっちりと書かれているのは珍しかった。まるで手紙のように丁寧な文字が、数行にも渡って綴られている。それは彼の口癖めいた小言の羅列にも近かった。ご飯はきちんと食べること、洗濯物は夕方になったら仕舞うこと、ゴミはきちんとまとめること。エトセトラ。耳の奥で再生される声に自然緩々と吐き出した吐息が、静まり返った部屋に妙に大きく響いていた。
 軽く鳴らした椅子の背に凭れて、目を通した文面の末が『それでは、お世話になりました』なんて、らしくもない言葉で結ばれている、その意味をわからないわけではない。ふわりと欠伸に混ざって指先から零れた紙は机を滑るように、不釣り合いに磨かれたフローリングへと落ちていった。