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里海いなみ
里海いなみ
novelistID. 18142
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いざやとしずおのはなし

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猫が一匹、帰路についていた静雄の前を横切り小さく一声鳴いた。真っ黒なその猫はしなやかな毛並みを街頭に照らされながら見つめる静雄を一瞥して夜の闇へと消えていった。
不意に静雄の頭に憎らしくて仕方のないある男の顔が浮かび、小さく舌打ちをした。しんと静まり返った路地にその舌打ちはよく響いた。そういえば、ここ最近あの男を見ていない。

ぽつりぽつりと、雨が降り始めていた。

静雄が自宅である安アパートに帰り着くと、ドアの前に何か黒い物が落ちていた。否、折原臨也が落ちていた。天敵である彼は小さな子供がするかのように立てた膝を抱え込み顔を伏せている。そのために表情は伺えないものの普段のような空気がそこには全くといって良いほど感じられない事に静雄はいち早く気がついた。再び小さく舌打ちをするとその黒い固まりはもぞりと身動ぎをして血のように赤い瞳で静雄を捉え、それから掠れるような小さな声でシズちゃん、と言った。
赤い瞳はまるで静雄を射抜くかのような鋭さを残しながらも淡く滲んだ涙で潤んでいた。いかに毛嫌いしている人間とはいえ、こうも弱っている『恋人』を放っておく程静雄は冷たい人間ではなかった。腕を掴み無理やり引き上げ立たせるとボロく暗い部屋の中へと投げ入れるようにして押し込んだ。
抗議の声さえも、なかった。

「で、テメェは一体何しに来たんだ?あぁ?臨也君よぉ」
「何もなかったら来ちゃいけないのかい?」

床の上に腰を抜かしたような体勢で転げた臨也はその赤い瞳で再度静雄をじっと見つめた。
喧嘩を売るかのような口調で声をかけた静雄はその様子に毒気を抜かれたかのように目の前へとしゃがみ込む、普段の棘の多さをまるっきり取り払ってしまったかのような臨也の姿がどこか痛々しいもののように見えたからだ。
腕を伸ばしその大きな掌で猫の毛のように柔らかい髪の毛を撫で回す。一般人に行えば酷く痛がるだろうその仕草も、普段から静雄の暴力を受けている(勿論両者とも望んで、ではない)臨也には大して苦ではないらしい。
外では雨が強さを増しさぁさぁと音を立てていた。

「マジでどうしたんだよテメェ」
「……別に、なんでもないさ」
「なんでもないように見えねぇから言ってんだろ」
「……シズちゃんのくせに」

不意に臨也が身を起こした。思わず身構える静雄に構わず真っ直ぐ細い腕を伸ばしてその首へと巻きつける。蛇のように巻き付いたその腕を払う事は静雄にとっては赤子の手を捻るよりも簡単な事だったが、それは叶う事はなかった。
まるで幼い子どもがするかのように首筋に黒髪を擦り付けてくるその姿が酷く不安定に見えたからだ。
いつもならばそのまま首筋にナイフの一本や二本突きたてられそうなものだが今日に限ってそれが無い。調子を狂わされているような気になりながら、静雄はゆっくりと臨也の背に手を回した。今度は出来るだけ優しく、包むように。
なぁ臨也。静雄は小さく呟いた。

「寂しかったのか?」
「……違うし、自意識過剰なんじゃないのシズちゃん」
「嘘つけ」
「嘘じゃないし」
「じゃあなんで此処に居るんだよ」
「……、」
「言えよ」
「……     」
「ん、」

雨の音は、遠くなっていた。