身近な神様
そのサッカーの技術、戦術――――そのどれもが、佐久間にとって、人の領域を超えたはるか高みに位置するもののように見える。
鬼道有人が、決して自分だけの存在ではないこと。その存在を独占することなどできやしないということを佐久間は理解している。
けれど、鬼道有人は佐久間次郎の『唯一』になったのだ。
鬼道有人は、佐久間次郎にとって、唯一の『神様』だった。
夏休みが終わると、佐久間の周囲では『受験』という単語があちこちで飛び交うようになった。
だが、帝国学園の場合は中等部から高等部への内部進学者がほとんどであるため、他の中学校とは少々事情が違う。もちろん進学のための試験は行われるが、評価の7割は『内申点』だ。よって、3年生だからと言って『受験勉強』に躍起になる生徒はほとんどいない。
佐久間と佐久間の周囲も、今までとほとんど変わらない毎日を繰り返していた。
授業を受けて、放課後は部活動に励む。
屋内グラウンドを持っている帝国学園サッカー部の練習は、1年を通して余り変化がない。
――唯一、大きく変わったことと言えば、部活動の中心が一年下の後輩たちに移ったことくらいだろう。
今、練習メニューを決め指示を出しているのは、1つ下の成神だ。
成神が後輩たちから『キャプテン』と呼ばれている光景が、佐久間にはやはり違和感があった。
別段、佐久間は成神がキャプテンに相応しくないないと言いたいわけではない。来年になれば自分たちは高等部のサッカー部に在籍することになるのだろうし、そうなれば誰か今までの後輩たちが中等部のサッカー部を率いていくことになる。それは、何らおかしいことではない。
(……そういや――俺たち、鬼道のことを『キャプテン』って呼んだことはあったか……?)
ふと思い浮かんだ疑問について考えてみる。
2年以上、鬼道有人は帝国学園サッカー部キャプテンを務め上げた(途中、空白期間はあったにせよ)。当時は珍しい1年生のキャプテンとして騒がれたものの、鬼道有人に対する『キャプテン』という呼称はあくまで公に対してのみ使われていたような気がする。
部活内での呼称は、ほとんど例外なく苗字だった。
『鬼道』
『鬼道さん』
誰も彼も、後輩までも、そう呼んだ。
鬼道有人が帝国学園サッカー部のキャプテンである、と誰もが認めながら、『キャプテン』という言葉を呼称とする者はいなかった。
(まあ、何と言うか……やっぱり鬼道は『鬼道』以外では表せないんだろうな……)
「佐久間?」
名を呼ばれて振り向けば、ユニホーム姿の源田がこちらに近付いてくるのが見える。
ベンチに座ったまま、ボーっとしている佐久間のことが気になったらしい。
「練習しなくていいのか?」
「なあ、」
「?」
「鬼道は?」
そう。まだグランドには鬼道有人の姿が見当たらない。
質問に答えない佐久間に気を悪くした様子も無く、源田は鬼道が生徒会の用事で遅れることを告げた。
「もうすぐ向こうも世代交代だからな。引継ぎの準備で忙しいらしいぞ」
「ふぅん……」
「――拗ねてるのか?」
「うるせぇ」
「否定しないのか……」
「黙れ、源田の癖に」
「ひどいな」
ひどいと言う割りに、やはり大して気を悪くした様子も無く、その視線はサッカーのコートへ向けられる。
後輩や同輩に指示を出す成神は、やはりまだぎこちなさはあるものの、多少形になりつつあるようだ。
「立場が人を作る、か……」
「……鬼道は、」
「?」
「――鬼道は、どうして外部受験なんだろうな」
「……まだ拘ってたのか……」
「お前は納得してるのかよ!大体――帝国だって、別に悪くないだろ?」
帝国学園の学業レベルは決して低くない。むしろ、国内でもトップクラスに入る。
しかし、鬼道は帝国学園の高等部への進学ではなく、更に上の学業レベルを誇る高校への受験を希望していた。
力試しというわけではなく、本当に、そこに通うために受験するのである。
中学3年になって、鬼道が帝国に戻ってきて、ようやくまた一緒のチームでサッカーが出来るようになって――このまま高校でも同じチームでサッカーができる。根拠もなく、佐久間はそんな未来を信じきっていた。
その分、鬼道が外部受験を希望しているということを知った時のショックは大きかったようである。
納得しようと努力はした、らしい。しかし、それでも割り切れないものが大きすぎた。
「――どうしてだよ」
「……佐久間、お前もう何度も鬼道にも同じこと訊いてるだろう?」
「最近は訊いてない」
「だったらそろそろ納得しろ。そうじゃなきゃ、鬼道を困らせることになるぞ」
「それは困る」
鬼道を困らせるのは、嫌だ。
はっきりとそう言い切るものの、言葉とは裏腹に、態度は煮え切らない。
「……わかってる。でも、納得できない」
「……」
「……納得、したくない……」
仕方がない、などという一言に頼りたくは無いのだと。
その言葉に、源田は今度こそ溜め息を吐いた。
佐久間次郎は、理解している。
鬼道有人は、決して自分が独り占めできるような存在ではないことを。そして、サッカーでさえも鬼道有人を束縛することはできやしない。
鬼道有人は、他の何者にも支配されない。独占することなど、できやしない。
――しかし。
佐久間次郎にとっての『神様』は、いつだって鬼道有人しかいないのだ。
《終わり》
まるで不等式