裏切りの代償
ぐらりと視界が反転する。体が傾いだと知ったのは、目に映る景色が、目前に得物を構えた長曾我部ではなく高みに位置する本陣になったからだ。
体中が熱く痛む。甲冑越しにでも斬りつけられれば無傷では済まない。吉継の体は、長曾我部の碇槍で無数の傷を負っていた。
もう、この体は持たない。
もとより病に冒された体だ。寿命が少しばかり縮んだだけのこと。それよりも気がかりなのは三成のことだった。自分を亡くして、三成はどうやってこの先生きていくのだろう。吉継なしに、三成が世の悪意に晒されて長く生きられるとは思えない。陰となり日向となり、守ってやらねばならなかったのに。もっと生きて、少なくとも三成を脅かす者すべてを排除し、三成の地位を安泰で揺るがぬものにしておかねばならなかったのに。
「われは逝くのか。残して、逝くのか」
「・・・・・・・」
本陣に構えた三成は、何も言わなかった。
冷えた月を背負って、白いかんばせを一寸たりとも動かすことなく吉継を見つめていた。
なぜ、そのような顔をする。知らない誰かを見るかのような、そんな冷えた顔を。
そうして吉継は、初めて自分が犯した罪の重さに思い至った。
吉継は、毛利と共謀して徳川と長曾我部を戦い合わせるように仕向けた。邪魔者は共食いさせるに限る。徳川と長曾我部を相争わせることができれば、毛利の兵力も豊臣の兵力も損なうことなく、両者を片づけることができる。徳川が勝っても、長曾我部が勝っても構わない。いずれが勝っていずれが負けるにせよ、勝者は必ず疲弊する。そこを豊臣毛利連合軍で叩けば、最小限の犠牲で最大限の戦果をあげることができる。その腹づもりだった。
どれほど汚い手を使おうが構いはしない。どれほどこの手が汚れようとも構いはしない。
対する家康が、すでに裏切りにその手を染めているのだ。正義や夢という言葉で飾りたて、太閤を殺め、三成を裏切った。家康は、これ以上ないほどの大罪を犯したのだ。咎人にいかに苛烈に当たろうと、刑部の心は痛まない。
西軍を組織するにあたり、三成は「卑怯な手は使うな」と吉継に言った。頭は切れるものの、目的のために手段を選ばない節のあることを三成は知っていたのだろう。
「心配することなど何もない。すべてをわれに委ねればよい。ぬしは、ただ家康への憎悪をたぎらせ、兵どもの旗印となればよい」
旗印となるのに、薄暗さなどあってはいけない。われこそは正義なりと旗を掲げる者は清冽でなければならない。だからこそ、三成は汚れてはいけなかった。
吉継が「ぬしはわれを信ずればよい」と答えれば、三成はただ一言、そうか、わかったと頷いた。三成はこの時、吉継の言葉を、吉継を信じ、そして吉継はこの時すでに三成を裏切っていたのだ。
三成は何も言わなかった。
力つきて、天を仰げば本陣が見える。本陣に構えた三成は、ただじっと吉継が息絶える様を見つめていた。その瞳に宿るものは、吉継を悼み悲しむものではない。紛れもない猜疑心だ。
これが、その報いか。
いずれやってくる自分の死に際して、三成は必ずや自分を想い涙を流してくれると思っていた。
思い上がっていたのだろうか。否、確かにあの男は自分に絶対の信頼を置いていた。手負いの獣のようなあの男が自分を信じ、背中を預けてくれるのは、何とも心地が良かった。その信頼に胡座をかき、三成の心に一抹の疑念を植え付けたのは自分だ。
三成は「卑怯な手は使うな」と言ったのに。吉継は、それを守らなかった。相手はあの卑怯な徳川、三成を手懐けるだけ手懐けて自らの野望のために切り捨て、そしてなお絆を説く強欲な徳川だ。何をやっても構うまい、そう、三成に知らせさえしなければ。三成の手は汚れたことにはなるまい。そう結論づけて、吉継はかえって三成を裏切った。三成かわいさに三成を裏切り、そうしてついに三成の信を失ったのだ。
誰に何を言われても、悲しくなどなかった。病に冒されたこの身を厭われようと、悔しくなどなかった。
三成さえいればよかった。ほかの誰も頼りにしない三成が、たった一人、自分一人だけを信じ、心を預けてくれさえすれば、それでよかった。それだけで満たされたのに。
あんな目は見たことがない。三成が、あんな目で自分を見たことなどなかった。あのような、まるでよく知らない他人を見るような目で見られたことなど、一度として。
だが、あんな目をさせたのは自分なのだ。三成の言葉に背き、その信を失ったのは自分だ。
三成は、これから長曾我部に事の真相を知らされるだろう。毛利と吉継が企てた一連の謀略を知ることになるだろう。それを知って、三成はどう思うだろうか。あの愚直な男のことだ。きっと裏切りに染まった自分自身を責めるに違いない。
三成が歪んでしまう。裏切りに、汚れてしまう。
(ならぬ、それだけは)
暗く、狭くなっていく視界のなか、吉継は生まれて初めて後悔をした。