【腐デュラララ】響くメランコリズム、水の底【サンプル】
浮世の罪を背負うのだから 来世来生貴方に似合う俺になろう
(何も案ずることはないけれど、)(何も憂うこともないけれど)
(未来が消えたその瞬間だけ覚えていて)
(俺を許すことなどせず それだけどうか覚えていて)
ぱしゃんと透明に液体が跳ねる音がして、平和島静雄は瞬きを行う。サングラス越しの世界から、公園に設置されている噴水の水を掬い上げては垂らして遊んでいる幼児たちを認め、静雄はそわそわとどこか落ち着かない心地のまま目をそらした。仲睦まじく話しながら噴水に夢中になっていた幼児たちは兄弟だろう、噴水からとめどなく溢れ出てくる水で興味本位に遊んでいたが、ふと遊具に視線を移し、ぱたぱたと噴水から遠ざかっていく。静雄はその様子を見るともなしに見つめながら、ほ、と安堵の息を吐く。良かった、浮かんだ感情の意味など見当たらず、静雄は内心 またか と訝しげに眉を歪める。
静雄には幼いころから何故か、少年といっていい年代の子らが水の近くに近づいたら、それだけで落ち着かなくなるという奇妙な癖があった。癖と言うには漠然としているそれは、静雄の根底に根付いているようで、こうして二十歳を超えた今でも一向に回復する傾向は無い。幼少期の自分に何かトラウマじみたことでもあったのだろうかと思案したこともあったが、自らは水に触れたとしてもパニックになるようなことは何一つなく、それどころかそわそわとした感情は自分以外の誰かが水に触れる、ただその一点でのみ沸き上がった。言い知れない不安や焦燥、焦げるような後悔が滲み出るような感覚を、幼かった静雄は弟や両親に事あるごとに訴えた。小学校に入ってから授業として行われたプールにすら若干の拒否反応を示すほどであり、平和島家では静雄が極端に嫌がったため海水浴などに出歩いたことは無く、今現在の静雄からしてみれば全く扱いづらいことこの上なかっただろうと呆れるばかりの幼少期を送っていた。
(…なんなんだろうな…)
未だじりじりと焦げ付く不安を煙とともに吐きだすために、静雄は煙草を咥えてその先端に火をつけようとする。その行動を留めるようにかけられた声へ、静雄は目を細めてライターを点火しようとしていた手を止める。竜ヶ峰帝人が静雄へ向けて小首を傾げ、ふにゃりと笑みを浮かべて軽く一礼を行った。少しだけ下げられた眉毛が困り顔のようにみせているが、ほんのりと上気した頬からは親愛の情が見え隠れしている。
「こんにちは、静雄さん」
「…よお、 竜ヶ峰。帰りか」
鞄の紐を握りしめながら、にこにこと笑って静雄を見つめる帝人へぼやくような挨拶を返し、静雄は感じていた不安が緩々とほぐされていく感覚に息をついた。結局火はつけないままの煙草を指で挟み、静雄はぎこちなく帝人へ、自分の隣に座るように呼びかける。帝人が嬉しそうに頷き、公園のベンチに腰掛けて当たり障りなく、静雄の異様に沸点が低い性格を悪戯に刺激することもない話題を話しはじめたのを契機に、静雄はどこか探るように聞き耳を立てていた噴水にちらりと視線を送る。人気のなくなった噴水に緩く息をついた静雄へ、帝人はきょとんと目を丸めた。
「噴水が、どうかしたんですか?」
「…あ、ああ いや なんでもねぇ」
明らかに動揺して言葉を選んだ静雄へ、帝人は目を丸めたまま首を傾げる。その視線に訝しさの他にも、心配そうなそれが加わっているからこそ、静雄はもう一度心配ないことを伝え、帝人の頭を軽く撫でてやった。自分の力を慮るとそれは大層苦労のいる行為で、帝人も静雄が何気なく行っているように見えて実は相当の苦労をしていると知っているからこそ無言のままで瞬きをする。
「僕も昔、噴水を見てるの楽しかったですよ、なんていうか、水がどうしてあんなに飛ぶのか不思議で」
「そうだな、 けど 」
お前は水には近づくな、言いかけた静雄はふと黙り、自分の脳内に浮かんだ言葉が信じられずに首を傾げた。帝人は静雄が極端に切った言葉の続きを待っているが、静雄は無言のままで帝人の頭から手を離す。帝人は、静雄が原因のつかめない苛立ちにやられてしまったのではないかと邪推しているような視線を向け続けながらも、静雄さん、と心配そうに声を上げる。静雄は帝人の不安を払拭したくてぎこちなく笑みを浮かべ、だいじょうぶだ、と声を上げる。
「けど…あ、だったら僕 何か飲み物買ってきます! 乾燥してますし、ちょっと暑くなってきちゃって」
静雄は帝人の真っすぐな言葉に頷きかけ、思い出して財布を帝人へ渡した。帝人は自分が持ったことのないようなブランド物の財布におろおろと視線を彷徨わせたが、静雄は大きく瞬きをして、帝人にも何か好きなものを買ってくればいいと告げる。恐縮した様子で静雄に数回頭を下げ、帝人は公園に備え付けの自販機へと小走りで駆けていく。必死めいたその行動に目を細めながらも、結果として年下の高校生に飲み物を買いに行かせる行動自体が少しずれているように感じられた静雄は、自分が気付いていないだけで思考にあてられているのだろうかとふるふる頭を振った。うわんうわんと鳴る頭の表面を刺激するように、酷く色あせた情景が静雄の脳内をめぐる。
『しずおさん、 』『ひやしあめ です』 『 どうぞ』
ぱちり、と瞬間眼球が瞼に包まれた、その瞬間には静雄は思い出していた何かを手繰ることもなく、夏の夕暮れに沈むように照らされている公園のベンチに座ったまま、遠くではしゃぐ子供たちの声を耳に滲ませていた。すりきれた映像を丹念に見つめているような、愛着の滲む写真を丁寧に手の中に包んで観察したような、静雄が見た何かは紛れもなく愛で満ちている。
(…意味わかんねぇもんのせいで、おかしくなったか?)
何かのドラマで見たのだろうか、静雄は思い出そうとして、ふとその時には自分が思い出した光景がすでに散り散りになって全く記憶の確認を許さないほどに細かく分断されていることを悟る。静雄はこめかみを押さえながらも、落ち着かなそうに巡らせた視線が、飲み物を抱えながら静雄の元に小走りで近づいてくる帝人を捉える。静雄は内心気ぜわしくも、帝人へ短く礼を述べた。いいえ、はにかみながら答える帝人の声が何かにひっかかった気がするが、そのひっかかりすら次の瞬間には融解してしまう。
作品名:【腐デュラララ】響くメランコリズム、水の底【サンプル】 作家名:宮崎千尋