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【冬コミ新刊サンプル】深淵なる楽園【静帝】

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静雄は奴隷だ。
 生まれたときは平民だった。十代の終り頃、突如、両親が殺されて、わけの分からぬまま、たった一人の弟と一緒に人買いに攫われ、売られて、奴隷になってしまった。
 別々の人間に買われたために大切な弟とも生き別れ、彼が無事でいるのか、今ではもうそれすらわからない。奴隷は何かを自由に選べる権利などなく、静雄もまた情報どころか食べる物さえ満足に手に入るか怪しい毎日を過ごしていた。
 ある人間に買われてからしばらくして、静雄は今のオーナーに再度、売られた。最初の主人がムカついたから殴り飛ばし、半死半生にしたせいだった。それから数年間、静雄は池袋にある闇賭場で、来る日も来る日も賭けの対象にされ、くだらない戦いに身を投じていた。
 この闘技場でのやり取りを戦いと言っていいのかもわからない。静雄自身は胸糞悪い見世物だと思っていた。参加し始めた当初から相手を殺しても良いし、殺されることもあるというルールだったが、素直に死んでやる義理もなければ、殺したくもないのに誰かを殺す理由もない。
 たとえばゲームをボイコットしたところで、用無しと判断されて殺されるだけなのだとしたら、それも無意味だ。だからその代わりに、嫌々ながらも戦うことで得られる幾許かのファイトマネーを使って、静雄はずっと弟の行方を探すことにしていた。
 一度、奴隷の身分に落とされれば、どんな飼い主に買われようが自由はない。けれど金があれば少しだけ状況は変わる。身分の上下問わず、金を出せば仕事を請け負う人間も広い世の中にはいくらでもいる。法外な値段をつきつけられることもあるが、彼らは決して払えない値段をふっかけたりはしてこない。彼らも仕事が欲しいのだ。
 静雄は奴隷にしては稼ぎが良いほうだった。しかしそんな金も奴隷身分を抜け出すには、いくらも足しにはならない。そういう仕組みになっているのだ。ならばいっそ全部、弟のためにつぎ込んでも悔いはなかった。

 
 そんな毎日が変化したのはひと月ぶりにゲームに引きずりだされた夜のことだった。
 奴隷になった頃は毎日のように何らかの試合が組まれていたが、最近では付加価値をつけるために、静雄の出る催しには前もってかなり大がかりな宣伝がうたれるようになっていた。それに伴って静雄が賭場に足を運ぶ回数も自ずと減っていた。
 数が減ったからといって結局やることは変わらない。ゲームに出場すると決まった瞬間から日に日に増していく鬱憤を晴らすかのように、向かってくる人間たちをさっさと地に沈めるだけだった。

「あの、平和島静雄さんですよね?」

 そんな風に誰かに呼び止められたのは、試合場から用意されていた控え室に荷物を取りに行く途中の廊下。殴ることで沈めた怒りをまた思い出さないうちに、さっさとゲームの会場を後にするところだった。


(中略)


 その背中を見て、もっと触れてくれれば良いのにと思った帝人は、身体を起こした。そして、背中を丸めて座る静雄の背中に抱きついて、驚いて振り返った静雄の唇にそのまま自分のそれを重ねた。

「……ふっ、ん……んぅ……っ」

 重ねていただけの唇を吸って、帝人がそのまま舌を口内に差し入れようとすると、静雄が思い切り帝人の身体を引き剥がした。

「な、何を?!」

 反動で帝人はベッドに仰向けに倒れ、逆に静雄はベッドからずり落ちたままの格好で、ほのかに赤くなった頬と唇を隠すように手の平で覆っていた。

「何って?さっき、静雄さんがしてくれたことの続きです」
「そ、それは……」
 起きてたのか、と静雄はさっと顔色を変えた。すまないと気まずそうに視線を反らす。
「別に謝らなくて良いですよ……静雄さん、来て下さい」

 続きをしましょうと、帝人はベッドを降りて静雄の身体にしなだれかかり耳元で囁いた。

「そっ、そんなことできるわけ……」
「なぜ?」
「なぜって、できるわけ……」
「僕に欲を感じたことは一度もありませんか?別に憐憫だっていい。あなたがくれる情なら何でも良いんです。僕はそれがほしい。だからさっきみたいに僕に触れてください」
「ば、馬鹿なこと言うんじゃねえ!」

 寝ている帝人を優しく撫でた静雄の手をとって、帝人はそれを自分の体に触れさせたが、静雄は驚いて、すぐさま手を引っ込めてしまう。

「僕は本気ですよ」

 静雄の口からはうまく言葉が出てこない。先に触れてきたのは静雄なのだから、それを盾に帝人に責められれば言い訳を紡ぐことすら難しかった。

「……俺はただ、おまえの奴隷で、それで……」
「あなたはもう奴隷じゃないですけど?」
「……だけど、おまえが金を出してくれたことには変わりない」

 だから帝人が今の飼い主だと言う静雄の言葉に帝人は顔を曇らせた。

「あなたは誰かに飼われたりすることをよしとする人じゃないと思っていたんですけど……」
「俺はもらった恩をそこら辺に捨てるような人間じゃねえ」

 帝人は少し考えるふりをして、頑なに帝人から視線をそらし続ける静雄をうかがった。

「なら命令したら、良いんですか?」
「おまえっ?!」
「命令ならあなたは言うことを聞いて僕を抱けるんですか?」
「おまえはそんなことはしない!」
「なにか勘違いしてるみたいですけど、僕はそんな綺麗な人間じゃないですよ。僕だって何も見返りなしにあなたを引き取ったわけじゃない。別にあなたが僕にどんな気持ちを抱こうが、罪悪感なんて感じる必要はないんです」

 お互い様です、と帝人はにっこり微笑む。その笑顔にどきりと鳴った心臓の音に静雄はひどく驚いた。ごくりとつばを飲み込む音がやけに大きく聞こえた気がして静雄はさらに動揺してしまう。

「帝人……」
「そんな顔したってダメです。あなたはこれから僕を抱くんです。これは命令です」

 帝人がしっかりと静雄の目を覗き込んで強い口調で言っても静雄は首を振った。

「そんなに嫌ですか?」
「……俺はおまえに感謝してる。……だから、傷つけたくねえ」
「傷つけろと言ってるわけじゃないですよ」
「か、加減、できる自信が……」
「そんなのしなくて良いですよ。あなたの好きにして良いって言ってるんです。でも僕も静雄さんはちゃんと僕のことを考えて触れてくれると思っていますよ」
「そんなこと軽々しく口にするんじゃねえ!」

 怒りに支配された静雄は、どうにもならないほどの衝動にかられる。どんなに止めたいと思っても一度、感情に支配されてしまえば一定の時間が経つまで身体は止まらないのだ。どんなに後悔することになったって、その時の感情に静雄は嘘をつけない。
 裏を返せば、帝人に対して静雄が抱くものはそれほどに激しい感情だということだ。怒りはとはまた違う未知のものに対して静雄は恐怖しか持たない。

「誰もその場の勢いで言ってるわけじゃないです。言ったでしょう?僕はあなたのことが一目見て気に入ったんだって。どうしても欲しくなったからあなたを引き取ったんです。これまでのことをあなたが感謝してるんだったら、それはそう、全部、あなたがそう思うように僕が仕向けたことだ」
「帝人……」