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蝶々が羽搏く

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思えばどうして喧嘩になったのかも判然としない。
 いつも通りの小言にアルが面倒臭そうに反論を述べ、カッとなったところを混ぜっ返されて声を荒らげるのを菊に宥められるかフランに誂われるような在りがちな情景であった。
 話題はクリスマスだ。
 アルがパーティをするから君も誘ってやってもいいとかなんとか社交辞令で言ってきて別に誘ってくれなくも予定はあると言い返せば嘘だとか強がりだとか散々に言われて…言い合いになったところでフランがルートヴィッヒと戻ってきたんだ。
「あ、お兄さんたち、仕事だから」
 ごめんね、アルなんて言う姿を見て思わず手が出ていた。


 本日の最高気温は36度を超えるか超えないか、明け方降った霧雨で空気は濡れて凍結した中を歩いているようだ。剥き出しの頬も耳も見なくても真っ赤になっているのが解る。
『アーサー、帰りましょうよ』
 赤い髪飾りを載せたハリィが雪のように冷たい体でふわふわと舞い、困ったように小さく囁くが聞こえないふり。ほとんどの妖精たちは冬の間休眠に入ってしまうので、寒さに強い彼女くらいしか残らない。
『そんなグズグズ泣くくらいなら謝っちゃえばいいじゃないの』
「うるさい」
 頬が刺すように痛いのは涙が流れた端から凍ってるからで本当に凍傷になってしまいそうだ。
 踏みしめた足元の霜がキュキュと音を立て仕立てはいいがけして厚くはない靴底から冷気が浸透してきてもう爪先には感覚がなかった。
 春には草や花で生命でいっぱいになる庭の奥にある森は今は死に絶えて世界の果てのよう。音のない絶望だけの世界。最初から俺の世界はこれだけしかなかったような錯覚に陥る。
 小さな天然の垣根のアーチを潜った先は狭い木の洞になっていて昔は十分暖かく感じたのに寒くて仕方ない。異常気象で地球はどんどん凍えていく。伸びた手足には目一杯なその胎内に潜り込んで身を小さく丸める。泣きたくなった時はここで小さくなって凌いだ。
 兄さんに虐められた。野兎が死んでしまった。上司に無理を言われた。
 思い返すと泣いてばかりだった。
 小さな俺に世界は優しくなく過酷で生を呪うことばかりだった。
 どうして父なる神はこんな呪われた存在を生み出したのだろうか。言葉には出せず幾度となく飲み込んだ呪詛が空に溶ける。
 薄暗くて眠気が差し込む。
 その頃には寒さは気にならなくなっていて静かな気持ちだった。体の感覚がない。
 とても優しくて暖かな真っ白な闇。


 遠くで呼ぶ声がする。
「アーサー!!」
 薄い色をした空に視界が拓けた。
 乱暴に揺すられる振動で脳がガクガクする。やめてくれ。
「何やってんの、お前、こんなとこでフランダースの犬ごっこしたら死んじゃうよ!?本当に!」
「死ぬかよ、ばかぁ…」
 目の前で真っ青になってるこの男だってそうだ。俺達は死なない存在。
「…っ…死ななくても」
 ぎゅっと強い力で抱き締められて背骨が変な音を立ててる。普段はへらへらへにゃへにゃしてる癖に何処で鍛えているのか衰えない筋肉は服の上からは感じられないのに。
「痛いし、冷たいし、苦しいのは感じるでしょう?」
「…んで、お前が泣くんだよ」
 完全に固まった体は冷たくて触れたくもないだろうに、浸透する熱を奪われても文句ひとつ言わずに。いつだか、もう何処に片付けたのかも解らないくらいくらい過去の記憶にもここでこんな風に抱き締められたことがあったなあと思った。
「こんなところで一人で泣くような年でもないのに自分のお口で伝えられない可哀想な坊っちゃんが憐れで泣いてるんです!!」
「…そーかよ」
 甘い匂いが鼻先を埋めた髪から香ってなんだかツンと染みた。
「まさかと思ったら花壇のところからずーっと一定間隔で赤い実がポツンポツンって落ちてるんだもん」
 まるで童話みたいだったと笑う。いつから居なかったのかハリィが物言いたげな目でフランシスの髪の上に降りて泣いてる。悪いことをしたな。
「…お前、仕事は?」
 そうだ。仕事だと言ったじゃないか。
「お前の所為でなくなりました」
「は?なんで俺の所為だよ」
 ぐずぐずとまだ鼻を鳴らしながらフランシスはいつの間にかまた頬を濡らしていた瞳から降る霙を指で拭った。
「お前がアルの誘いを無視して俺を殴った後に飛び出したから菊ちゃんが拉致られまして」
 う…菊には謝らなくては。
「菊ちゃんと一緒に過ごす予定だったフェリシアーノとギルベルトが大騒ぎでルートヴィッヒはお仕事どころじゃなくなっちゃったんです」
 なんだか大惨事になってる。
「なあに、俺が仕事だって言ったのが気に食わなかったの?」
 すっかりフランは呆れ顔だ。
 だって一ヶ月前にはそんなこと言ってなかった。たかだかベッドの中で交わした睦言の戯れだと解っていても…約束だったんだ。
「スケジュールの都合で今日やるしかなかったんだけど…それから飛行機乗ってたらアルんとこに着くの明日でしょ」
 それに、とフランシスが視線を外す。
「坊っちゃんと一緒に居ようねって約束したじゃない」
 だからお前もアルの誘いを断ってたんだと思ったのに。
「早く終わらせてくるつもりで早起きして頑張ったのに、居ないんだもん」
 まあ、仕事にならなくてそのままケルンからブリュッセル経由できたから思ったより早く着いてよかったよ、坊ちゃんの氷漬けが出来上がってるところだったと薄く笑う。
 ぽかんと開けた口の中が寒い。
 その顔を見てなにやらフランは納得顔だ。
「忘れたと思い込んだのね、勝手に」
「だって、そんなこと…」
「言う暇もなく殴って飛び出したじゃない。それにわざわざアルにそんなこと言ったら乗り込んでくるよ、あいつ」
「う…」
 馬鹿みたいだ。
 自分だけがそんなつまらない約束覚えていたとグルグルして溢れそうな気持ちに潰されそうになってて、大事な友だちまで悲しませて。世界に一人取り残されたような錯覚で何も見えなくなってた。
 優しい手は凍り付いた髪を掻き抱いて唇を寄せる。
「泣くほどショックだったんだ?」
 声にはいつもの誂いが滲んでいるのが気に食わないが。
 またその優しさに縋る。


「ねえ、坊ちゃんいい加減寒いです」
 大人しく抱き懐炉と化していたフランの体温は次第に俺と同化して空気に熔けてすっかり温い。子供みたいになってる自分の状況を思い出して恥ずかしさのあまりに突き飛ばして立ち上がった。
「ひ、酷い…」
「うるさい!」
 草の上に尻餅ついて経たり込んだフランに背を向けると軽快な音階のメロディがクリスマスソングを奏でた。
 メールのようだ。コートのポケットから菊の家のように派手な緑の携帯を取り出して中を確認した髭面が少し眉を寄せて情けない顔をした。
「坊っちゃん、悪いお知らせ」


 アル主催のパーティの会場が坊ちゃんちのリビングに変更になっているそうだよ。


小谷美紗子「嘆きの雪」
作品名:蝶々が羽搏く 作家名:天野禊