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掌と戯言

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「喰いたいんだ」
 とそう言えば、
「あいしてる」
 と君は答えた。

掌と戯言

「喰いたいんだ」
 散々人の身体を貪っておきながら、そんなことを抜かす目の前の男に、ライナは盛大にため息をついた。
「さっきあんだけがっついたじゃん」
 5日間連続徹夜の後で漸く降りた仮眠室入室の許可。思わず流した歓喜の涙が悲鳴と嬌声に変わったのはつい数時間前のことだ。
 シオンが唐突に盛り出すのはいつものことだが、今回はやけにしつこかった。
 止めてくれと涙混じりに頼んでも、「もう少しライナの中にいたい」とかお前頭沸いてんじゃないかと思うことを平気で抜かして、行為を続けた。
 お陰で腰が痛くてしょうがない。
「あはは、ライナが可愛いから、つい止まらなくなっちゃった」
「あはは、じゃねーよ。少しは反省しろ」
 悪びれる様子も謝罪の意もない爽やかな笑みを軽く睨むと、金の瞳が楽しげに揺れる。
「でも、気持ち良さそうだったけど?」
 す、と伸ばされた指の先には、鬱血した跡。身体のあちこちにのこる所有印を1つ1つ細い指がなぞっていく。
「ここ、噛まれるの、好きだろ?」
 首筋をするりと撫で上げられ、ぞくりと背筋が戦いた。
 困ったことに昨日の熱は、まだ完全には引いていないらしい。
「ライナ」
 耳元に唇を寄せられ、耳朶を甘く噛まれる。首筋から頬に寄せられた手が、そのままライナの両目を覆った。
「シオン?」
 唐突に暗転した視界。それを作り出す掌は、微かに震えている気がした。
「喰いたいんだ」
 先程と同じ言葉。
 だがその響きは何かを必死に堪えているようで、ライナは何も言えなくなる。
「喰いたい。喰いたい。喰いたいんだ。お前の心も身体も、全部が欲しい。お前が逃げてしまう前に、お前の全てを奪い尽くしたい。そうでなければいっそずたずたに壊してしまいたい。ライナ、俺は」
 呪詛のように耳元から流し込まれる言葉。
 喰いたいと繰り返すその声はまるで何かに怯えているようで、ライナは何も言わずにただその背中を擦ってやる。
 何かに怯えるシオンを宥めるのは、初めてのことではない。
 シオンは何かを隠している。
 隠して、一人で抱え込んで、そしてライナには何も教えない。
 問い詰めれば辛そうな顔で謝るだけで、詳しいことは決して話してはくれないが、それが誰の為の苦悩と沈黙かが、分からない程馬鹿ではない。
 だから、ライナは何も聞かない。何も聞かず、その代わりに呪いの言葉を吐く口を自らのそれで強制的に塞ぐ。視界を覆う掌を掴み、震える身体を抱き寄せれば、驚いたように金の瞳が見開かれた。
 取り戻した視界に真っ先に映ったそれが、限界まで水滴を湛えているのを認め、ライナは顔をしかめる。
 また、泣かせてしまった。
 また、がいつを指すのかは分からない。
 ただ、似たような情景を自分は知っている気がした。
 喰いたい、喰いたくない、いっそ世界が壊れてしまえばいいに。
 そう言ったのは誰だったか。
 その時自分は何と答えたのか。
「シオン」
 喰っていいよ。
 衝動的にそう言いかけて、やめる。
 それを言えば、優しい彼はまた苦しむ。
 前のように、傷付けたくない。
 だから、
「あいしてるよ」
 そう囁いて、唇を塞いだ。


「あいしてるよ」
 とそう言って、君の願いに応えなかった。
 もしあの時、別の言葉を選んでいたら、君は泣かずに済んだだろうか。

作品名:掌と戯言 作家名:二丁目