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「哀れだね……」







いつものように戦闘を行いながら先を急いでいたとき、少し変わった敵が現れた。



《お前の美しさが憎い……》



明確な悪意を持って攻撃を仕掛けてきたグノーシスがいたのだ。

通常グノーシスには明確な意思はみられない。

元が何であったのだとしても、襲ってくるのはただのモンスターだと認識していたため、皆少なからず驚いていた。

《珍しいグノーシス》

そう、Jr.は思っていた。

そんなときに聞こえてきたのは隣の人物の微かな呟き。誰かに聞かせるための言葉ではなく、無意識に口から零れ落ちた言葉だった。

「哀れだね……」

常に、敵に対しても哀しんでいる彼、ケイオスからその言葉が聞こえるのはなんら不思議ではなかった。

だから、いつものように聞き流すつもりだった。

「……意思なんてなければよかったのに」

そう、微かな声で続けられなければ。

Jr.は思わずギョッとした。ケイオスからそんな言葉が出るとは思っていなかったからだ。

いや、グノーシスに成り下がってまで意識が残っていることをケイオスが哀れと言うのは、当然だと認識していた。

けれど、意識の片隅で、そうじゃないだろうと叫ぶ自分があるのも感じたのだ。



Jr.はこっそりとケイオスの表情を覗う。やはり誰かに向けた言葉ではなかったようで、視線はぼんやりと先を見つめてた。

違和感。

Jr.はなぜ自分がギョッとしてしまったのかを考える。

疑問さえ感じさせることの無い無条件の慈しみ……ケイオスの哀切をそう認識していた。

けれど、先ほどの言葉にはそれ以外の何かが含まれていたような気がした?

そう、

『意思なんてなければよかったのに』

この言い回しが彼らしくない。問答無用に目の前の存在を否定している。





ふと、思い出した。

『どうして、僕らだけ違うんだろうね……』

まだインスティチュートにいたころ、ニグレドが零した言葉だった。

何があったのか知らないが、その日ニグレドは少し沈んでいて……そう、標準体たちと揉めたときだった。

その前にニグレドだけ呼び出されていたから、もしかしたら沈んでいたのはそのせいかもしれなかったが。

『僕らにだけ意思があるから……僕らの方が』

そう言ったニグレドを俺は否定したはずだ。

『違う。そうじゃないだろ!』

『でも、僕らはただの兵器だ。意思があることの方が……』

『俺は嫌だ。あんなだったらいいのにとは思わないし、思えない。俺は、俺でいたい』

当時の俺は、いや今もだけど群体としてのぼんやりとした意思しか持たない彼ら標準体のことが気持ち悪かった。

だから、すぐさま否定した。

『そう、かもしれないけど……僕は、すこし、羨ましいよ。何も感じなかったらよかったのにって、思わずにはいられない』

『………』

今度は否定できなかった。一瞬だけでも俺もそう感じたことがあったから。でも、認めるわけにはいかなかった。

『……でも、違うだろ。俺は、俺でいてよかったと思ってる。それ以上に、ニグレドがニグレドで、

お前らがお前らでよかったと思ってる。あんなのは嫌だ』

『そう、だね。……うん。僕も、ルベドがルベドでよかったと思う。僕も、僕でよかったのかな……』

たしか、最後にニグレドは微かに笑ってそう言ってくれたはずだ。





今のケイオスと、かつてのニグレドの姿が被って見えた。

気のせいかもしれない、ただの思い違いかもしれない……けれど、拭えない違和感。





ケイオスは、”何”についての意識を否定していた?



だから、言わなくちゃないらないと思った。



「そうじゃないだろ?」

無意識に呟いた言葉に返事が来るとは思っていなかったのだろう、ケイオスは僅かに驚いてJr.の方に振り返った。



「たとえ、どんな存在であろうとも、意思がない方がよかったなんて俺は思わない。

辛くたって、哀しくたって、望まれていなくとも……俺は俺でいたい。

あいつらだって、それだけ強く意思を持っていたってことなんじゃねえのか?」



「…………」



珍しく、ケイオスは応えることなく沈黙していた。何を考えているのか、その表情は普段の表情とは打って変って虚ろだった。



「たとえそれが”何”であろうとも、きっとそいつはそいつであっていいと思うんだ。俺は兵器でしかないけれど俺は俺でいたいし、いてよかったと思う。お前だって……そう思うだろ?」



同意を求めたのは、ケイオスには全ての意思においてその存在を否定して欲しくなかったから。

『そうだね、彼らの意思を簡単に否定するようなことを言うべきじゃなかった……』そんな返答を期待していた。









けれど―――





「僕も、僕で居ていいのかな?」





返ってきた答えは、思いがけないものだった。









浮かべている表情は先ほどまでの虚ろなものではなく、僅かに微笑んだようないつものもの。

けれど、見つめてくる緑琥珀色の瞳は不安で揺れているように見えた。



ぐるぐると頭の中が回転する。







――――――ケイオスは、《何》についての意識を否定していた?







「あたりまえだろっ!何言ってんだよ!!」



自然と応える口調は厳しくなってしまった。





「…………うん、………ありがとう」



聞こえるか聞こえないかの微かな声で呟かれた言葉は、酷く儚かった。













それは、何てことのないある日常の一コマ。

けれど、彼を彼たらしめた、絆の欠片。






作品名:identity 作家名:コウヤ