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メアリー・アンに招待状

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無機質で味気ない音が携帯から鳴り響いた。
誰だろう、開いた画面に表示されていたのは見慣れた名前で、溜息を吐いてメールを消去した。


「いらっしゃい」
かちゃんと軽い音をさせて開いた扉の向こうにいたのは、予想していた顔とは全く違う人物で、帝人は思わず目を見開いた。
「なに突っ立ってるの。あなた、彼の客なんでしょう?」
「え、あ、はい。多分」
女性の言う、『彼』が誰のことか一瞬わからなくて戸惑う。
それを女性は一瞥して、「こっちよ」と簡潔な言葉を吐き出した。
サイフォンから良い香りが立ち上る。
二人分のコーヒーがソファの前に据え付けられているチェステーブルに置かれて、反射で「ありがとうございます」と頭を下げた。
「どういたしまして」
向かいに座る女性はそれだけ言ってコーヒーカップを手に取った。
痛い沈黙ばかりが流れる。なんだろう、知ってるんだよな、この人。
「えと、あの・・・間違ってたらすみません。矢霧波江さん、ですよね」
「そうよ」
「僕のこと、覚えてますか?」
「ええ」
やっぱり!と帝人は内心絶叫する。ダラーズのオフ会と偽って人を集め、波江らを追い詰めたのはそう古い記憶ではない。
恨まれてるだろうなあ、と薄々思ってはいたが詫びを入れようなどとは一ミリたりとも考えたことはない。もう会うこともないであろう人物だったからだ。
「僕のこと、恨んでますよね・・・」
ちら、と帝人を見やった波江は
「別に」
とだけ言い捨てた。
え、と意外に思って顔を上げると、苦々しげな表情をした波江が目に入る。
「あなたよりよっぽど癇に障る男がいるもの。昔はしてやられたことに腹も立ったけど、今じゃ特に感慨も湧かないわね」
湯気の立つ黒い液体を優雅に啜って、何かを思い出したのか顔を顰めて舌打ちをした。
美人の舌打ちなんて滅多に見れるものじゃないけれど、出来ることなら二度と見たくないなあ、と帝人は思う。
「あの、癇に障る男って?」
「私にあなたのお出迎え役を押し付けて出ていった黒坊主よ」
ああ、あの人か。自分をここに呼びつけたまままだやって来ないくだんの人物を思い浮かべたので、
「このコーヒー、美味しいですね」
「あらありがとう」
あらぬ方向に話題を投げた。(この人と喋るのは、楽だ)
ピーンポーンと派手なチャイムが押されて、波江はひどいしかめっ面を取り戻した。
その間にもチャイムは鳴らされ続けている。
「鍵はある癖に・・・」
ぼそりと呟かれた内容に、「大変ですね」うっかり素直な意見が口から滑り落ちて、「まったくよ」と同意した彼女は玄関へ向かった。
コーヒーはまだ半分残っている。さて留まるべきか進むべきかと思案して、自分も玄関へ向かうことにした。臨也さんの黒いコートとそれに付随する満面の笑顔が開け放された玄関扉の向こうから見えて(あ、やっぱ留まるべきだったかも)選択を後悔し始めた。
「今頃お帰りとはいい御身分で」
「留守番御苦労、波江。そしてようこそ帝人くん!」
「あ、僕もう帰っていいですか」
「どうぞご自由に」
「ありがとうございます、では」
「今来たばかりじゃないか帝人くん!波江も勝手に許可しない!」
ここは俺の家なんだからね!と臨也は地団太を踏む。(面倒な人だ)
そもそも僕を呼び出すだけ呼び出しておいて何故いなかったんですか、素直な疑問を口に出すとそれはもう満面の笑みで(きもちわるい)
「そりゃあ俺に呼び出されたのに俺がいなくてどうしたんだろう臨也さん、怪我でもしたのかな、どうしていないのかな、なんてことを考えて俺のことで頭がいっぱいな帝人くんを見たかったからだよ!いやあ波江と二人きりになって居心地の悪そうな帝人くん、可愛かったなあ」
はあ、と曖昧な返事をしておく。望んでここに来たわけではないんだし、正直そろそろ帰りたい。しかも今の話だと、どこからか様子を見ていたことになる。
ちらりと波江を見やると何やら剣呑な目をしていて、(あ、まずいかも)そっと臨也さんから一歩引いた。
その判断が正しいことを一瞬の後に知ることになる。
ごす、鈍い音がして臨也さんが吹っ飛んだ。
臨也さんの真横から理不尽な暴力を行使した波江さんその人は吹っ飛んだ臨也さんが起きあがるその前に一足飛びで壁際まで移動して、唖然としている臨也さんに向けて持ち上げた足を思い切り振り下ろした。
(痛そう)
所謂かかと落とし、というやつで鳩尾の辺りをやられた臨也さんは声も出ないくらいになっていて、端正な顔が歪んで見えた。
目の前で繰り広げられる社内暴力(恐らく間違っていない)に僕は為すすべもなくて(その気がなかった、とも言う)ただぼんやり臨也さんがやられていくのを見ていた。(臨也さんでも、やられることってあるんだな)
無意味な感動は目の前の暴力が止まったことにより中断された。
「ガムテープ」
「どうぞ」
なんとなくそう言われるような気がしていたのでそこらに転がっていたビニールロープとガムテープを前もって用意していた僕を波江さんが僅かに見やって、「ビニールロープはいりますか」と訊いたら「ナイフで簡単に切られるからいらないわ」と答えられた。それもそうかと部屋の隅に再度転がしておく。
真っ黒な服にあちこちべたべたとガムテープが巻きつけられた、蓑虫が一匹完成した。
(ノミ蟲ならぬ蓑虫、とか。静雄さんこれ見たら喜ぶのかなあ)
「思ったより上手くいったわ」
にやりという形容詞がよく似合う顔で波江さんが笑う。
どこかにカメラでも仕掛けているんじゃないでしょうね気持ち悪い、と吐き捨てる彼女に諸手を上げて賛成したい。
(多分僕たちいい友人になれるんでしょうね)
ああ疲れた、とソファに座り込む波江を見て帝人も向かいに座る。再度口をつけたコーヒーはすっかり冷めていて、ひどく苦かった。
真っ黒な蓑虫状になっている人はぐったりして動く気配もない。
自業自得、という単語が脳内を占めた。
「いいんでしょうか」
「いいのよ」
「いえ人道的な意味じゃなく、波江さんの雇い主なんでしょう?後で減給とか・・・」
あったりするんじゃないですか、の言葉は喉の奥に引っかかって出てこなかった。
「優しいのね」
珍しいことに優しく目元を緩ませて笑う。
「誠二ほどじゃないけど」
これがなければこの人、本当に常識人なんだけどなあと心中でこっそり溜息を吐いた帝人に、小さく声をたてて笑った波江は
「大丈夫よ、帝人くんが毎週来てくれるって知らせてやれば地の底にまで落ちた機嫌もあっという間に直るでしょ」
週末は空いてるわよね、学生なんだもの。当たり前のように決まっていくスケジュールに
「僕が生贄なのは確定なんですね」
「まあそうね」
大丈夫よ、私の身を案じてくれた優しさに免じて危険な時は守ってあげるから。
作品名:メアリー・アンに招待状 作家名:nini