繋ぐ、紡ぐ
俺が実家からもらってきた古い石油ストーブと、二人で買った小さなこたつだけ。
真冬の大阪でこんな状態じゃ当然部屋はいつも寒くて、酷いときには部屋の中で吐く息が白く濁る始末。
そんなわけだから、部屋にいるときはこたつに入り浸りになってしまうのはまあ仕方のないことだと思う。
二人して肩まで体をこたつに突っ込んで、狭い空間で足を交差させつつ寝転がる。
下手したら一日じゅう、そのままごろごろしてしまうこともしばしば。
ぬくぬくとした幸せに包まれながら、うとうとと時間を過ごすのだ。
冬眠ってこんな感じなのかなあ、なんて溶けた頭で考えてみる。
「ん…」
さて、師走というものはあっという間に過ぎていってしまうもので。
そんなだらだらとした生活を送っているうちに、いつの間にか冬休みに入りクリスマスを過ぎ、あっという間に年末まで来てしまった。
この約2週間ほどのうち、果たしてこのこたつの中で過ごした時間はどれくらいなのだろうかと考えると、少し背筋が寒くなる。
一応、年越しの準備ということで年賀状作成やら大掃除やらの最低限のことはこなしてきたが、なんだか実感の湧かないうちに新年を迎えてしまいそうだなあ、とぼんやり思った。
いやその前に、すごく大事なことがあるんだった。
今日は12月の最後の日。31日。大晦日。
さすがにこんなだらけた生活の中でも忘れるわけはない。まあ準備こそ何もしていないけれど、今日は。
「な、千歳、ちとせ」
「んー…?なんね」
寝癖のせいでいつもより更にもさもさになった千歳の髪をくしゃりと撫でて、覚醒を促す。
もう昼前だというのに、千歳は未だ眠そうにふにゃふにゃと目を擦りながら返事をした。
相変わらず寝ぼすけなやつだ。まあ最近の俺は人のこと言えないけれど。
少しかさついた頬をそっと撫でてやればくすぐったそうに微笑んだ。
「おはよ、ちとせ。今日は何日か覚えとる?」
「ん…おはよう…今日?」
大きな腕にふわふわと抱きしめられて、ぬくまった体同士がきゅうとくっつく。
気持ちいい温度がまた眠気を誘ってくるけれど、寝てばかりはいられない。
「今日は31日やで、お前の誕生日」
「あー…そういえば…」
「そういえばって…お前はほんとに適当やなあ」
自分の誕生日をそういえば、で済ませるなんて。
本当にこういうところは相変わらずだ。自分の誕生日という特別な日に執着が無いというかなんというか。
しょうがないなあ、と小さく笑って眠そうな千歳の顔を覗き込む。
むにゃむにゃと瞬きするその顔は幼い。体格は昔から年相応以上に大きかったけれど、こういう気を抜いたときの顔とかはとても幼く可愛らしく見える。昔と全然変わらない。
ああでももう19歳になったのか。時が経つのは早いなあなんてしみじみ思ってみる。
こうやって誕生日を一緒に過ごせるのは本当に久しぶりだ。
この3年間のことをそっと思い返してみる。
どの年も千歳の誕生日に会うことは出来なかった。誕生日の日にできたことと言ったら、日付の変わるちょうど12時に電話をかけておめでとうと言って、声を聞くことくらい。
どれだけ大阪と熊本の距離が憎いと思ったか分からない。会っておめでとうと言って触れたかったのに。
でも今はこうやって触れていられる。
眠そうな目蓋を指でそっとなぞりながら思う。
昔はもっと焦っていた気がする。誕生日なのだからああしなきゃいけないこうしなきゃいけないとか。とにかく何かしないといけないものなのだと。
でも分かった。きっとこうやって一緒にいられるだけでもう特別なことなのだ。何もなくたって。
だからと言ってこうやってだらけてばかりいていいか、というとNOだけれど。
ここのところずっと家に篭っていたからケーキも無いし、夕飯の材料すら無い。
せめてこれくらいは買いにいこうかなあ、なんて思って、千歳の腕をそっと解いてこたつの中から体を引っ張り出す。
一気に冷えた空気が体を襲ってきて、ぶるりと身震いをひとつ。
全部着替えるのはもう面倒だからズボンだけ履き替えて、上はコートでも着て行こうかな、なんて思っていたら足を掴まれた。考えるまでもなく千歳だ。
「ん…どっか行くと…?」
「うん、ちょっと今日の夜ご飯と、あとケーキ」
「んー…よかよか」
まあ予想は出来ていたけれど。案の定千歳の手によってこたつの中に引きずり戻された。
顔をすりすりと首元に埋めて甘えてくる。くすぐったい、けど可愛らしい。
子どもをあやすみたいにゆっくり頭を撫でて、そっと耳元に問いかける。
「ちとせー、今日ケーキどころかまともなごはんも無いんやけど」
「適当でよかー」
「食べたいもんもない?」
「蔵が食べたか」
顔を覗き込むと、いつのまに目を覚ましたのかぱちりと開いた瞳と目が合った。
さっきまでは俺が千歳を抱きしめるようなかたちになっていたのに、一気に形勢逆転。千歳の腕の中にぎゅうと抱きこまれる。
「、ん…」
あたたかい手が頬を覆って湿った吐息が混じって、かさついた唇が重ねられた。
かぷ、とその乾いた唇を食むように何度も軽いキスが降る。ほんとに食べられてしまいそう。
じわりじわりと体が熱くなってくるのはきっとこたつのせいじゃない。与えられる体温のせい。
「は…」
唇が離れたとき目に飛び込んできたのは穏やかで優しい目だった。
もっと欲を帯びたヤラシイそれだと思っていたのに、それとは全く逆の柔らかい眼差し。
大きな手で頬を包まれたままおでこをこつんとぶつけられる。
そっとその手に自分の手を重ねると、千歳が小さく微笑んだ。
「蔵…好いとー」
瞳を閉じて、ほろほろと柔らかく溶けるチョコレートみたいに甘い言葉を千歳が零す。ふわふわで甘い響きだ。
千歳につられるようにして俺も目を閉じた。
感じるのは千歳の吐息と言葉とそれから体温だけ。
「うん」
「しあわせ」
「うん」
「来年もこげんして一緒に過ごしたか…」
ふにゃふにゃと幸せそうな声が本当に耳に心地よい。
心の奥底のほうを撫でられてるような感じがして、くすぐったくてたまらない。
「…当たり前やろ。ま、来年はケーキくらいは準備したいけど」
気を抜いたらもう酷く甘くて馬鹿みたいな言葉を返してしまいそうになったから、わざと少しだけ口調を強めて言う。
だけどもう心はぐずぐずに溶けてしまっている。
それが零れてしまうのはきっと時間の問題。
いつのまにか千歳が目の奥にヤラシイ色を浮かべてこちらを見つめていた。ゆっくりと唇が迫ってくる。この唇が触れたらきっと溢れてしまう。
でもその前に、ちゃんと言っておかなくちゃ。
「な、ちとせ」
「んー?」
人差し指をちょん、と千歳の唇に当てる。キスは少しだけ待ってね。
去年もその前の年も、ずっと言ってきた同じ言葉。
「ちとせ、誕生日おめでと」
来年もまたこの言葉が言えますようにと密かな願いをこめて。