初笑い
逆に体は止まっていたようだ。
「気分でも悪い?」
「え?ううん、何も・・・」
「そう、ならいいけど」
とは言うもの、彼の視線は私に注がれたままだった。どうしても人の目を見続けることは苦手だから、つい下を向いてしまう。視界に入った箸には栗が挟まれたままだったから、誤魔化すように口に運び咀嚼する。栗が喉元を過ぎたところで、再び彼の顔を盗み見た。
「何?」
盗み、は出来なかったがばっちり見れた。少し語感が強く感じたけど、表情はそんなに険しくない。言ってみようか。でも、こんなことをいちいち聞くのも、どうしようかしら。
そんなふうに考えを巡らせていると、目の前に黄色い物体が現れた。
「ヒバード?」
「栗だよ」
「・・・あ」
今度は彼の箸に挟まれている栗。黄色の鮮やかさは似てるけど大きさは到底似ても似つかない。変な勘違いによる彼の笑い声に自然と顔が赤くなる。
「食べたいんでしょ?」
「あの子は食べ物じゃないわ」
「栗の話だよ」
ますます彼の笑い声は大きくなる。彼ってこんなに笑う人だったかしら。
「で?」
「・・・どうして私が栗を食べたいと?」
「栗を持ったまま僕の顔をちらちら見るものだから、てっきり食べさせてほしいのかと」
「違う」
「即答だね」
今度はくすくす、と彼がよくする笑い方をした。これは確実に私をからかっているときの笑い方。私にはこれに対抗する術がなくて、顔をそらして口を尖らすことしか出来ない。
そして、本日も例外なく。
「拗ねちゃった?」
「拗ねてないわ」
「ふうん、でも何か言いたそうだね」
反射的に肩がピクリと揺れた。しまったと思ったときにはもう遅くて、無言でそれを肯定する結果となった。
「ほら、言ってみなよ。ない、なんていうのは嘘だろう」
「・・・あ、」
「うん」
「じ・・・」
「あじ?」
「味、だいじょうぶ、だった?」
これの?と指した先には私が作ったおせちの入った重箱。こくりと頷く。
すると、彼は空いている左手で俯き気味だった私の顔を上げて、未だ挟まれた状態にあった栗を私の口に半ば無理やり押し込んだ。
口に入ってしまった物は食べるしかない。出来るだけ早く飲み込んで空となった口を開けて抗議しようとした。けれど、机越しに彼が乗り出してきたと思ったらあっという間に私の唇が奪われた。開きかけの口から彼の舌が入り込んできて、口内を舐めるように舌を動かす。とっさのことに目も開いたままで、彼との視線はしっかりと絡んだ。その強い視線に目蓋を閉じるという行動も忘れ、ただ彼が離れるのを待つばかり。
「甘い」
離れてすぐ放った言葉。何が、と問いただす前に自分がさっきしたばかりの質問への答えと気付く。
色々言いたいことはあるけど、言葉に出来ない。
「栗だけじゃなくて全体的にね、でも嫌いじゃない。でもゴボウはもう少し辛くても言いかな。黒豆はちゃんと豆から炊いたんだね、出来合いの物は嫌いだからすぐ分かった。その人参も一切れずつ飾り切りしてあって驚いたよ、やっぱり華やかになる」
「・・・あ、りが、とう?」
「何で聞くの」
呆れたように、でも楽しそうに笑うと、私の頭を撫でた。
「さすが僕の凪だ」
「それ、褒め言葉?」
「最上級のね」
「・・・覚えておくわ」
今年は砂糖を使う量を減らすこと、それと、あなたのその笑みを。