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タクトくんGuilty

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 お願いがあるの。顔の前で手を合わせるアキラに対し、タクトは思わず固唾を呑んだ。教官とライダーという立場上、否、それ以前にタクトは女性と接触した経験は殆どない。タクトの心情をアキラが知っているのか否か――タクトがそれを知る術はないが、ともかく。女性の扱いを知らないタクトが、アキラの円らな瞳に出くわしてなお、彼女を振り払う事など出来やしない。謂わばタクトにとって、「断る」という選択肢は最初からあってないようなものなのである。
 練習室に広げられた、沢山のコスメとヘア用品。場所にそぐわない雰囲気のその小物たちを引っ提げたアキラがはしゃいでいる。アキラのお願いは「タクトにメイクをさせて欲しい」という事だった。なんでも、雑誌の特集モデルの一人がタクトに似ていたとか。
 本来ならば何としてでも避けたいお願いだったものの、余りにも嬉しそうなアキラを振り払うことも出来なかった。アキラが個人的に楽しんだ後は、すぐに顔を洗って良いと言われたのだけが救い。数十分の頓狂な遊びと割り切って、タクトは目を閉じた。
 メイクを施される――その感触は意外にも心地よかった。体温をはらんだ指先で肌全体を撫でられる、それからブラシでそっと触れられる。柔らかなタッチで触れられていく安堵感と、アキラが自身の肌に触れているという少しの緊張感。それは髪に触れられている時も同様に。丁寧に櫛を通され、髪や肌を撫でられていく。女性が好む、自分を作り替える行為はこんなにも気持ちの良い行為なのか。普段は興じることのない行為に耽っている。
 ひたすら甘やかな感覚がタクトを奮わせ、羞恥心を焦がしていく。不思議な感覚だった。
「はい、出来上がり」
 カランと金属が転がる音、聞いた言葉。タクトがそっと目を開けると、まず瞼の重さが気になった。否、睫毛が若干の重みを帯びているのだろう。違和感を禁じ得ないタクトをよそに、アキラは顔を綻ばせる。
「やっぱりタクトくん、綺麗だね!」
「そ、そうか!?」
「うん!肌が白いし綺麗だから、きっとお化粧映えすると思ったの。髪も長いから纏めてみたいなーってずっと思ってたから、おだんごにしてみたよ。タクトくん、髪も綺麗で羨ましいなあ」
 肩を滑り落ちる筈のロングヘアが、頭上に纏まっている事に気が付いた。おずおずと手で触れてみる、暫し手を進めていると出会った見慣れない物体の感触。これは――なんだろう。タクトは首を傾げる。
「あ、それはね、コサージュだよ。似合うかなって思って」
 ほかにも色々あるんだけど。そう言って広げられるのは、花やリボンをあしらった髪飾りたち。ざっと見てもかなりの数。これらをアキラが身につけている姿は目にした事はない。
「これだけあるんだけど、私がつけるとなんだか違和感があって……タクトくんに似合ってよかった!」
「……いや、貴女も付けたらいい。きっと似合うはずだ」
「そうかな?タクトくんがそう言ってくれると、嬉しいな」
 どうにか絞り出した言葉で、アキラが笑う。快い返答に安堵する。そう、彼女が紡ぐ言葉はまるで魔法。余りにもアキラが嬉しそうにするものだから、ついついタクトも上機嫌になる。付き合ってくれてありがとう。依頼をするときと同じポーズで笑うアキラを見たら、頓狂なこの遊びも少しは意味があったのかもしれないと思わされる。
 心地の良さを感じていたその瞬間、タクトの後方でドアの開く音。予想外の出来事にタクトはたじろいだ。
 アキラ以外にこの姿を見られる訳にはいかない――その為にアキラと二人きりで待ち合わせられるように調整をした。そう、調整を行ったところまでは完璧だったのだ。ただひとつ迂闊だったのは練習室の鍵を掛け忘れた、と言うことだ。レディファーストに則り、練習室へはアキラ、タクトの順に入室した――即ちタクトが鍵を掛けるべきだったのだ。言うまでもないケアレスミス、一気に汗が吹き出してくる。八方ふさがりだ。今更どうすることも出来ずに、タクトはぎゅっと目を瞑った。
「アキラと……タクト、か?」
 静かな練習室に低い声が響く。聴き慣れた声、幼なじみの声だ。取り払われていたはずの羞恥心が一気に舞い戻る。目を合わせるどころか、開けることすら出来ない。
「あっ、ヨウスケくん。あのね、タクトくんにお化粧させてもらってたの。タクトくん、すごく綺麗だよ」
 縮こまるタクトの耳に、衝撃の台詞。思わず目を見開くも、ヨウスケの姿を脳が認識した瞬間にまた目を閉じてしまった。ヨウスケがここにいる。先ほどよりも固く閉じた目蓋。衝動で再度目を瞑ってしまった事を僅かに後悔しつつも、どうにもできない。縮こまる身体。凝り固まったタクトの事を解かすように、そっと低音が通り抜ける。
「タクト、目を開けろ」
 出来ることなら首を横に振りたい。何も出来ずに目元にそっと力を込めた。ところがだめ押しの一言、名前を呼ぶ声。窮鼠は猫に追い込まれた。鳴り響く心音を抱えながら、タクトはそっと目蓋を開く。まさかのまさか、眼前にはヨウスケの顔。
「……かわいいな」
 ヨウスケは笑う。綺麗に笑うヨウスケを久しぶりに見て――時が止まったかのごとく彼の表情に吸い込まれる。しかしそれも一瞬、頓狂な自分の姿を思い出して絶句した。咄嗟にヨウスケを突き飛ばす。急な衝撃は軽いステップでいなされて、後に残るは心臓が爆ぜるような動悸だけ。
 ヨウスケとアキラが顔を見合わせる。練習室にたゆたう日常。タクトだけが非日常。甘やかな動悸はなかった事にして、ひとつ大きな溜息を吐いた。
作品名:タクトくんGuilty 作家名:nana