其れは宝石の輝きに似て
そういう風の噂が流れてきたのは私が六年に進級したころだった。私は無事進級して、記憶の中の先輩と同じ緑の装束を身に纏っていた。背も大分伸びた。いま先輩と比べたら、どちらが高いんだろうか、追い越してしまっていたら、どうしよう。きっと徹夜がたたったんですよといって笑おう。先輩は怒るだろうか。久々に怒られるのも悪くは無い。そんなことを思っていた。
噂を聞いてから三月経って、ああ、先輩は死んだのだ、とふと納得した。不思議と心は澄んだ。気分良く目覚めたくらいだった。自分でも恐ろしい。しかし、私はこうして今日も飯を食べている。不思議だ。たまらなく不思議だった。
恋仲と、言えるほどでもなかったか。
一度だけ、肌を触れ合わせたのは事実だった。どちらともなく、唇を合わせて、先輩は、「悪い」と呟いた。それだけ。それだけだった。私は目を瞑り、息をゆっくりと吐いて、それから、夢を見たのだった。
だけども私が何度だって思い出すのは、その夜の先輩の、「悪い」という低い声で、この時に思ったのだ。この人はなんと優しい、なんと弱い、なんと
「愛しい」
先輩がいなくなった後のまだ温い布団の中で、私はそっと声に出し、そして落涙したのだ。
「泣かないんだね」
演習でくたくたになった日の夜だった。学園に帰ってこられたのは日が昇ろうとしている頃で、正直もう眠たくて眠たくて、すぐにでも布団に入ってしまいたいくらいの心持だった私に、喜八郎が呟いた。ふらふらと長屋に向かっていた途中だった。道には私と喜八郎しかいなかった。その言葉は、あまりに静かだったので、私の幻聴かと思ったくらいであった。
「何か言った？」
「泣かないんだね、って、いった」
なんでもない風に喜八郎は言った。しかし要領を得ない答えだった。だってこの時、私はとても眠かったので、少しくらい察しが悪くても許されてしかるべきなのであった。
「何のことだ？」
眠たい眼で喜八郎に向き直ると、喜八郎はフイとそっぽを向いた（もしかしたら睨んだと思われたのかもしれない）。
「潮江先輩のこと、もういいの」
ああ、と私は思った。眩暈のような感覚だった。冷血漢、と責められているようにも感じた。泣かないのか、あんなにも恋焦がれていた人が死んだのに、泣かないのか、泣くべきだったんじゃないのか、お前の愛情なんてそんなものだったのか。
怒涛のように頭の中を巡った非難の言葉に、冷静に答えている自分もいて困った。だって私は忍びだもの。そんなことでうろたえていて何になる？笑いながら答える私がいることが怖かった。ああ、と私は思った。ああ、先輩。私は。
喜八郎は私の沈黙を何と捉えたのか。察しのいい男であるから、すぐにその沈黙から逃げ出そうとした。しかし私の手は喜八郎の肩を強く掴んだ。喜八郎が驚いたように私を見た。その時の私の顔はどんな顔だったのだろうか。「泣くべきだった」と叫ぶ泣き顔か、「私は忍びだもの」と嘲る笑い顔か。わかりたくもない。
「先輩は優しいから」
「うん」
「いつかこんな日が来るとは知っていた」
「うん」
「先輩が私みたいにずるかったらよかったのに」
「うん」
「そしたらきっと先輩は、もっと長く生きられたのに」
「うん」
「そしたらきっと私は、先輩のこと好きになんてならなかったのに」
「うん」
頭の中で、先輩と熱を分け合った日のことを思い出していた。あの日の「悪い」という呟きひとつで、こんなにも哀しくなれる自分が不思議だった。
先輩の優しさが、今でもこんなにも痛いのだ。
（ああそうか、私は先輩の愚かさに気付いたその日から泣いていた、）
朝日が既に、木々を照らしている。
（其れは宝石の輝きに似て）
作品名：其れは宝石の輝きに似て 作家名：ノミヤ