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雪 【BASARA 長市】

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それは、今年初めての雪が降った、ある夜のことだった。
 昼間に降っていた雪も夜になると止んでしまい、風の冷たさを残すだけで、普段と変わらぬ風景が広がる城の庭。降り始めの雪など根雪になることもなく、降った先から融けて消える為に、その様はまるで雨が止んだ後の姿にも見えた。
 そんな庭先に、市が一人、空を見上げるようにして立ち尽くしている。
 長政がそうした市の姿に気付いたのは、浅い眠りから目を覚ました後。なので、いつからそうして空を眺めていたのか、ということは分からない。
 しかし、この寒空の下に立っていれば、時間に関係なく寒さから風邪など引いてしまうのは確実だろう。そう思い、長政が庭先に立つ市の名を呼んでみた。
 すると、その声から長政が起きていることに気が付いたのか、市が僅かに驚くようにして部屋の中へと顔を振り向かせる。そして、すぐさまいつもと変わらぬ、どこか沈んだような表情を浮かび上がらせると、長政に向って小さくごめんなさいと言葉を掛けてきた。

「市のせいで、起きちゃった?」

 申し訳なさそうに言葉を口にしながら、市が縁側の上へと上がってくる。そして、そのまま部屋の方へと歩み進めると、夜風を遮る為に襖に手を掛け、そっと手で引いて見せた。
 しかし長政は、そうした市の行動に対して構わないと言葉で制すると、羽織を手にしながら床を抜け出し、市の居る縁側へと進んで行く。そして、手にしていた羽織を市の肩に掛けてやった後で縁側に腰を降ろすと、先ほど市がしていたのと同じようにして、頭上にある夜空を見上げ始めた。
 常ならば月が浮んでいるはずの空には雲が掛かり、星々の姿すら、今は見ることが出来ない。
 夜も更けた今となってもわかる、鉛色の空。そんな夜空を見上げたまま、長政が小さく息を吐き出した。
 寒さから白く色付いた息が目の前に広がり、そしてまるで雪が解けるようにして消えていく。その様をただ静かに眺めていたとき、不意に縁側の上に投げ出していた手の甲に、温かな温もりが伝わってくるとを、長政は感じた。

「長政様は、雪が好き?」

 いつのまにか縁側に腰を降ろした市が、長政の手の甲に自身の手を重ねてそっと握り締め始める。そして長政の肩にもたれ掛かるようにして頭を置くと、顔を伏せながら静かに瞼を閉じていった。

「市は、嫌い。だって雪は、白すぎるから……」

 呟きながら、長政に触れていない方の手をそっと握り締める。
 穢れることの無い、真っ白な雪。その無垢な美しさが、市は酷く苦手だった。
 白という色に囲まれるだけで、まるで自分が穢れているかのような、そうした感情が湧き上がる。お前は汚らわしい存在だと、そう囁かれているかのような幻聴が聞こえる気がする。
 だから、雪の白さが市は嫌いだった。
 だがきっと、長政は雪が好きなのだろう。今までそうした話を聞いたことは無いが、普段の長政の言動などから、そうではないかと市は思っていた。
 正義というものを重んじ、非道な行いを許すことの無い長政。そんな彼ならきっと、穢れを持たぬ白い雪を好ましく思うのだろう、と。

「実は私も……雪は苦手だ」

 だが、長政の口から発せられたのは、市の予想とは違う言葉だった。

「長政様も、雪が嫌いなの?」

 返って来た言葉に多少の戸惑いを覚えながら、市は閉じていた瞼を開いて顔を上げる。
 長政が雪を嫌いだなんて、そんなこと思いもしなかった。そうした響きが市の声に含まれているのを感じとったのか、長政は顔を上げた市へと視線を移して肯定の言葉を告げて見せると、肩から落ちかけている羽織を直してやりながら、二人の前に広がる庭を眺めるようにして顔を向けた。

「確かに、雪の白さは美しいが……私は同時に、その白さが恐ろしい」
「恐ろしい……?」
「そうだ。まるでその白さによって、何もかもが消え去ってしまうような……そうした恐ろしさを感じてしまう」

 そこまでを告げたところで、長政が口元に苦笑を浮かべる。その表情はまるで、こんなことを言うなどおかしいだろう、とでも言いたいかのよう。
 だが市は、そんな長政の言葉に何かを考えるようにして軽く瞳を伏せると、握り締めていた手のひらを更に強く握り締め、辛そうに表情を歪めていった。

「長政様。もし、市が消えちゃったら……悲しんでくれる?」

 唐突に市が口にした、問い掛けの言葉。
 それはただの例え話なのだが、不思議と市の言葉は悲しげで、思わず長政が眉間に皺を寄せていく。そして、何も言葉を発せず暫く黙り込んだ後、不意に市の名を少々大きめの声で呼び始めた。

「馬鹿らしいことを、口にするな」

 言いながら、長政が重ねられた市の手の下から、自身の手を引き抜き始める。そして大きく息を吐き出しながら、眉間に刻み込まれた皺を更に深くしていった。
 その様子に、市が温もりの消えた手のひらを持ち上げ、胸の前で残された温もりを守るようにして手のひらを握り締める。
 長政は、ささいなことで怒り出してしまうことがよくあった。それは、彼の性格的なものもあるのだが、市の言動に問題があるときも多い。
 そして今回も、きっと市の言葉に問題があったのだろう。そう考え、市が今にも泣き出してしまいそうなほどに表情を歪める。
 そのときだった。

「私が黙って、市を消させるわけが無いだろう」

 先ほどまで市の手のひらの下にあった手が、夜風に冷えた市の肩に当てられる。そして強い力で掴まれたかと思うと、そのまま、長政の方へと市の身体が抱き寄せられた。
 突然のことに驚きながら、思わず市が長政の顔を見上げる。そこには、夜の闇が広がる今でさえはっきりとわかるほどに、顔を赤く染めた長政の姿があった。
 その姿に、市が瞳を僅かに見開きながら、言葉も発せず唇を微かに開く。そしてすぐさま、嬉しそうに表情を緩めると、長政の胸に顔を埋めて胸板に頬を摺り寄せた。
 そして小さく呟きを漏らす。嬉しいと、それだけの言葉を。
 そんな言葉を耳にして、長政が何かを言わんとするかのようにして数回唇を開閉させる。だが、伝えたい言葉が見当たらなかったのか、結局声を漏らすことはせずに小さく息を吐き出すと、そっと撫でるようにして市の髪に自身の指先を触れさせていった。

 そんな二人の頭上から、白い雪の花弁が、ゆっくりとした動作で舞い落ちてくる。
 穢れを知らない白い雪が、二人の姿をそっと隠すかのようにして……


-終-
作品名:雪 【BASARA 長市】 作家名:みー