青のり
並んで歩いていた阿部が急に足を止めて榛名の顔をじっと見つめたので、榛名は落ち着かない気持ちになった。気のせいか、阿部の視線は榛名の唇のあたりに集中している。
なんだ、もしかして、ちゅーしてえのかな?
そうかも、と考えると榛名の体は急にかっかっと熱を持ち始めた。キスなんて、口と口をくっつけるだけのことがこんなに気持ちよくて嬉しいのは相手がタカヤだからだ、と榛名は思う。
べたっとくっつけてから鼻先をこすり合わせるのが好きだ。
軽く食むようにしてくすぐると、気持ちよさげ息を漏らすのが好きだ。
阿部の少し体温が低くて薄い唇が、榛名の唾液でびちゃびちゃになって、舌を突っ込むと入り口の冷たさを裏切って熱い口腔が迎え入れてくるのが好きだ。
阿部とのキスは全部好きだ。
榛名の頭の中はもうキスでいっぱいになって、早くしたいとただそれだけ思った矢先に、阿部が榛名の手を引いた。
「元希さん、こっち」
連れて来られたのは建物の間の物陰で、やっぱりするんだ、と思って榛名はうれしくなった。
阿部は掴んでいた手を離すと、榛名に向かって唇を開く。
「元希さん、いーって、してください」
言いながら、阿部は手本を見せるように唇を横に引っ張って前歯を出して見せた。
「は?」
「いーってしてください」
榛名は、何がなんだかよく分からないながらも、幼い子どものようにいーっとしてみせる阿部が可愛くて、言われるままに歯をむき出しにする。タカヤは時々とても、無防備だ。今も榛名の口元を見上げる顔は、いつもの強がりや大人ぶった感じがすとんと抜け落ちて、どこか子どもっぽい。
阿部の顔が近づいてくる。口を開けて、舌を伸ばす様がいやらしかった。榛名が阿部の赤い舌を受け入れようとする前に、何かが前歯のあたりを触った。
「あ?」
思わず飛び出た色気のない声に構った様子もなく、阿部は榛名の前歯をぺろぺろと熱心に舐めている。
え?なにこれ。新しいプレイ?
どきどきというよりも、混乱が強く勝る。榛名はまばたきを繰り返して、その度に自分の前歯を阿部が舐めているという状況のおかしさに何度もびっくりした。
しばらくすると、阿部は満足したのか、うんとひとつ頷いて顔を離した。
「取れました」
「は?」
「青のり。さっき食べたお好み焼きのがついてたんですね」
それだけ言うともう用事は済んだとばかりに、阿部はさっさと歩き出して大通りへと向かっていった。残された榛名は口を開けたままぽかんとしてしまう。
青のりって何だそれ。え? それ取るためにあんなことしちゃうわけ?
当てが外れてがっかりする気持ちと、よく分からないけどタカヤがえろくて優しかったという事実のうれしさが榛名の中でぐるぐると渦をまく。
それでも、先に歩いていた阿部が振り返って名前を呼ぶから、その戸惑いも何もかも、うれしいばかりに変わってしまうのだ。
駆け出して追いついて、手を握っても怒られない。いつもは人の沢山いるところで手をつなぐのは恥ずかしいと嫌がられるから、今日のタカヤはものすごく機嫌がいいのかもしれない、と榛名は思った。
「なータカヤ」
「はい」
「またお好み焼き、食いにいこうな!」
つないだ手をぶんぶんと振りながら榛名がそう言うと、阿部はちょっと目を見開いて、そんなにお好み焼き好きだったんですか、と見当違いの答えを返した。
榛名は思わず笑い出してしまう。
「おー、今日好きになった」